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愛豊玉

Author:愛豊玉
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あなた自身に疑心があり
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どんな光の言霊も心に響きません
言霊は あなたが受け留めてこそ
効力を発揮します

あなたがここで読んだ言の葉は
きっと あなたに必要なメッセージです

どうか 気づき そして
道しるべとなりますように…

神から人へ
流れ来る 浄らかな水
神から流れ来る
理(ミチ)という水
継がれた水を いただく人
継ぐ言の波

水継ぎ(ミツギ)の言

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大国主神と大黒天

【大国主神】

大国主神(オホクニヌシノカミ)様といえば、
因幡の白ウサギの話や、
少彦名神様とともに、国作りをしたという神話で有名ですね。

記紀などの神話で伝えられていることは、
「神人」として、地上に降りられていたときの歴史です。
ですから、記紀での話の生みの親は地上での身体の親であり、
魂のルーツの親神様とは異なります。

大国主神様は、
国常立大神様の荒魂と和魂からの分け御魂で、
素盞鳴大神様より息を吹き込まれお生まれになりました。

ですから、大国主神様は、国常立大神様の、
「厳(イヅ)」の御魂、御霊統です。
御神名に「国」が入っているのは、
大国主神様が、誰あろう国常立大神様の、
次元を降ろした意識存在であるからです。

8次元の存在であり、
下層中有界で審判をしておられます。

この方が幽冥界の主宰神になったという話が
伝えられているようですが、これは今でも
閻魔大王(閻摩羅夜叉(エマラヤシャ)大神)様が主宰神です。

大国主神様が来られるときは、左肩の方へ来られます。
ストーブや焚火のような火の温かさのエネルギーで、
水(瑞)=陽の太陽の光の温かさではなく、
火(厳)だと感じました。
“火垂り”だから左に来られるというわけですね。

多くの皆さんが、火は陽、水は陰だとし、
陽と日と火がごちゃまぜになっていると思います。
ですが、実は、火は陰の働きで、厳の御魂です。
表からは見えないところの蔭の働き、
正統な日とは「真中、内側、元」の霊(ヒ)のことであって、
霊的な中心の日なのです。

真の陽の働きは、瑞の御魂、表で現わす水の御役です。
燦々と照らす太陽の如くにです。
これが、みなさんがよく知っている太陽の光のエネルギー、
顕現的な真の「日」です。

素盞鳴大神様の分魂である、
饒速日(ニギハヤヒ)大神様のエネルギーは、
まるで太陽の光そのものをあびているような、
日だまりのようなエネルギーなんですよ。

【大黒天】

大黒天(ダイコクテン)さんは、
大国主神様の奇魂と幸魂の分け御魂で、
木花咲耶姫神様より息を吹き込まれお生まれになりました。

七福神の中のお一人で、
打出の小槌と大きな袋を持っている姿で
よく描かれていますよね。

この方は、大国主神様と
同一存在のようにされることが多いようですが、
まったく別の次元に住む存在です。
大国主神様の次元を降ろしたコピー的存在です。

大国主神様の御使いとして動かれることもあるようです。

4次元の存在で、月の内部世界に住んでいます。
菩薩、天部は月の内部世界におられます。

七福神の方たちは、4次元の存在なんですね。
どんな“願いごと”でも叶えてくれる、
拝めば誰にでも福を与えてくれるような、
都合のいい存在ではないのです。
一攫千金を狙うような、我欲丸出しの人には、
福は舞い込んできません。
人の善き想念、祈りを聞き届け、現実化できるよう、
サポートしてくださっています。

大黒天さんといえば、御使いとされるネズミの存在があります。
これは本当だそうですよ。
ネズミは大黒天さんのペットのような存在のようです。

大黒天さんは、私が少々ヘコんでしまったときに、
癒しに来てくださったことがあるんですよ。
聞けば、大国主神様の代理だったのだそうです。
悲しい時は、思いっきり泣くことができれば、
スッキリしていいんでしょうけど、
どうも、ぐっとこらえてしまう癖がありまして、
表では笑って、内側で涙してしまうんですね。
「また心の中に、涙が溜まってしまうんだわ~」( ノД`)
なんで泣けないのかしら…なんて、思いつつのある夜、
寝ている時に、ポン、ポン、と鼓を打つような音と、
チョロチョロ…と、水が流れるような音が、
すぐ耳元で聴こえるんです。
なんだろうと不思議に思っていましたら、
流れる水の音は、
私の心の中に溜まった涙を排出する音だったんです。
ほんとうに、いつも助けてくださる神霊の方々には、
ありがたいやら、申し訳ないやらで、
感謝、感謝、感謝しかございません。
そして、自分が幸せであるということを、再確認するのです。

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テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

光の世界の現し世へ―地球交響曲を完成させるのは

「未来」と一口に言っても、
自分の未来もあれば、家族の未来もある。
国の未来もある。世界の未来もある。
地球の未来がある。

自分が乗り越えなければならない試練。
人と人、みんなで乗り越える試練。
国が乗り越える試練。

自分の古い殻は、自分自身の力でないと、
打ち破ることはできません。
自己の内面のことは、自分で昇華できなければなりません。
ですが、全員の目の前に立ちはだかっている大きな山場は、
人と人とが、協力し合って乗り越えるものです。
古いシステムの囚われから脱却し、
新しいシステムが循環する世へと、皆で向かいゆくのです。
それには、個人個人バラバラなのではなく、
手を携えていかなければ開けてきません。

どうか、自分の非力さに、あきらめたり、
自己嫌悪したり、卑下なさらないでください。
また、自分が多才だからといって、
上から目線で人を不出来と決めつけるのもやめてください。

人それぞれに、得意不得意があります。
簡単に空を飛べる者もいれば、
飛べないけど、力自慢の者もいます。
腕力は無いけれど、魔法を使える者もいます。
魔法は使えないけれど、手先の器用な者もいます。
不器用だけど、知恵の豊かな者もいます。
空を飛んで軽々と越えられる者が、
一番優れているのかというと、そうではないでしょう?

神々とて全能ではありません。
天使もそれぞれが司っている得意分野というものがあります。
体育以外はオール1みたいな天使もいれば、
物知りなインテリ天使もいたり、
彼らはそれを、誇りにし、お互いに敬い、信頼し、
補い合い、生かしきっているのです。
自分の得意でないことに、ふてくされるようなことはなく、
割りきっていて、まったく気にしていませんし、
自分は容易にできることが、相手に出来ないからといって、
鼻高になるようなことは、ないのです。

私たちが目指しているのは、
そのような、皆が和し幸う「光の世界」です。
光の世界の“現し世(うつしよ)”です。
この、光の世界の響きに共鳴できないのなら、
脱落してゆくだけです。
この地球をベースとして、美しい旋律を奏でるのは、人間です。
一人一人の音色が重なり合ってはじめて、
「和音」となるのです。

自分の乗り越えなければならないことは、
自分のパートを見つけることです。
それは、自分だけのことではなく、
地球交響曲の“演奏者”として、
皆と響き合うためでもあるのです。

人にはできて、自分ができないことを嘆くのではなく、
自分だからできることを、見つけてください。
人の足らない部分を探し、見下すのではなく、
自分にはない良いところも見つけてあげてください。
自分に合うパートを見つけられずに、
なげやりになっている人がいたら、
アドバイスの一つでもしてみてはいかがでしょう。
それが、きっかけになるかもしれませんよ。

皆の目の前に困難が現れたとき、
神様は、あなた方がどう出るのかを、
いつもご覧になっておられます。
これまでも、様々な形で、試されているはずです。
一人力のある者が仕切って、無理矢理押し切ろうとするのか、
全員で力を出し合って、お互いを生かしながら乗り切るのか。

現実には、救世主のような人が奇跡のような力で、
なにもかもいっぺんに助けてくれることはありませんし、
自分がそのようになりたいと切望しても、妄想の域を出ません。
いくら想念は現実化するといっても、
それだけは、いくら念じても、具現化できません。

今、現実にできることはなにか。
今、ここ、の自分ができることはなにか。

必ずあなたも、何か一つ、人よりも優れているものを
持って生まれているはずです。
あなたにも、できることがあるのです。
学と金の悪の仕組みに邪魔され、見えなくなっているだけです。
あなたが輝ける特性が、必ず眠っているのです。

ほんとうに、自分がしたかったことを
思い出すことからはじめてください。

あなた方は、一人で生きているのではありません。
人は、自分一人の力だけでは生きてはいけませんし、
自分の力だけで生きていける人は、存在しません。

皆で知恵を出し合い、考え、
一人一人の特性、能力を活かし、補い合って、山場を乗り越える。
そうしてはじめて、山の向こうの美しい景色、
皆の光の未来を見通すことができるのです。
“和”してこそ、大和魂、日の本の民というものです。

私たちは、光の世界の現し世を目指しているのですから、
光の存在の在り方がお手本です。

目の前の大きな山を見て、立ちすくみ、
どうやって乗り越えるか、考えるのも大事ですが、
その向こうにある、
美しい光の世界を見据えることも、忘れないでください。

人と人、手を携えて、和し幸う世へ、
うれしうれし、たのしたのし未来へ。

さあ ゆけ 人よ

人よ 光を担う者たちよ
皆 自分を忘れてござるぞ
神を背に生きているということ
気づく者 少ないぞ

神のためいき 風となり
神のなみだ 雨となるぞ 嵐起こるぞ
親泣かすでないぞ 親不幸ぞ
親のこころ わかる子となりてくだされよ
肉の親でないぞ タマの親ぞ

皆 神の光担う尊い御魂持ちているのざから
清まりた順に 仕事与えているのであるから
御魂の掃除洗濯 急いでいたせよ たのむぞ

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テーマ : 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル : 心と身体

悪想念からの脱却―脱皮か腑抜けか

人への強い執着、依存、憎しみ、妬み、羨み、
挙げていけばキリがないほど出てきますが、
こういった闇側の想念を持っていますと、
時として、「生霊」となってしまうことがあります。
これは、本人にはまったく自覚がありません。
そういった人は、確実に、闇の存在に憑かれています。
ろくでもない輩と、知らず知らずのうちにタッグを組んで、
ひとりよがりな思いを増幅させ、相手に、
背負わなくてもよい荷物を背負わせているのです。

人に依存したり、執着したりすることで、
自分の心の闇を解消しようとするのは、とんだ見当違いです。
ネガティブを、大事に抱えていて、
なにか良いことが、ありましたか。
それでは永久に、心が楽になることはないでしょう。

こういったことは、旧ブログの時からこれまで
くどいほどお伝えさせていただきました。
ネガティブな想念は、とことん捨てましょう。
捨てることを、自分に許してあげてください。
あなたの心の中の闇は、あなた自身でしか、捨てられません。
いくら依存しても、他人は手伝ってあげられません。

自分を救うのは、自分です。

ネガティブを手放すのは、あなたの心ひとつです。
あなたが決断するだけなんです。

そんなとき、あなたの中に、
闇のささやきがきこえてくるかもしれません。

その決断を鈍らせている闇とは、
我利我欲 不平不満、損得勘定です。
過去にしがみつき、自分の悪い未来を怖れ、
損得を思う利己愛であるから、捨てられないのです。

「なにがなんでも手に入れたい」と思うのは、
愛ではなく、欲です。
愛着ではなく、執着です。
神様は、今の人間は「血走り過ぎ」だとおっしゃっています。
最近は“肉食”系などと呼んだりしますが、
これは現代人の食の乱れも大いに関係します。
四足の肉ばかり食べ過ぎなんです。
詳細は長くなるので省略させていただきますが、
四足の肉を食べると霊性が乱され、血の気が多くなり、
気が短くて、怒りっぽい傾向になるのです。
安直に“肉食”などと言っていますが、
魂の仕分けが済んだ今、ほんとうに、
「獣」となり下がってから気づいても、今さらもう遅いのです。

自分にとって必要であったり、縁があるのであれば、
どうしたって自分の元にやってくるんですから。
もちろん、チャンスをつかみ、道を築くのは自分自身ですが、
我欲にまかせ、自己を省みず、利他も見えなくなるのは、
いかがなものでしょう。

“今ここ”の自分を受け入れることができるのが、
「真の自己愛」です。
「足るを知る」ということ、
開き直って、割り切る気持ちになれれば、
必要なくなるはずです。
執着は、なんとかして、はずしてくださいね。

難しく考えることは必要ありません。
ネガティブを捨て去るには、
あなたが「やめよう」「捨てよう」と決めるだけです。
単純でしょう?

ほんとうに手放すことができたなら、
すっきり、さっぱり、
心が軽くなっていくのが、感じられるはずです。
そうしたら、
最近、表情が明るくなったね。
眼が輝いてるね。
と、声をかけられることもあるでしょう。

今年は巳年です。
ヘビは、脱皮して成長しますね。
各々が、自らの古い殻を打ち破り、
生命力あふれる自分に、新生する年なのです。

自分の古い殻から脱皮するには、自分の力でないと、
抜け出ることはできません。
利他に依存していては、
自らが抜け殻状態、腑抜けとなるのみです。

いつまでも執拗にからみついて、
曲がったまま自ら落ちゆくのか、
スパイラルなエネルギーに満ち、
躍動的に昇華してゆくのか。
どちらになるかは、あなたの“洗濯”次第です。
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テーマ : 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル : 心と身体

オーラと感受性

オーラというものの正体は、
あなたの“魂”から出ている「光」です。

霊性が高いほど、遠くまで伸びゆく大きな光です。
霊性が低いと、薄い薄い膜のようです。

霊性が高く、波の密な、大きな光をもつ人ほど、
粗い波長のものはよせつけませんし、
入り込むスキを与えません。来たとしても、
体の表面にすがりつくのがやっとでしょう。
波長が粗いと、その悪想念につけ入られ、しまいには
コントロールされるようなことになってしまうのです。
つまり、自らの光で自分を守っていることになるのです。
「自分を救うのは自分」とは、こういう特典付きなんですね。
そして、霊性の高い人ほど、高次の神霊から愛され、
そのエネルギーをあびているのです。

このオーラは、アンテナのような役割にもなって、
厚みがあるほど、高感度で、感受性が強いことになります。
オーラがより遠くまで届けば、
少し離れている人の心の変化も敏感に察知できるからです。
そして、感度は「第三の眼」「サードアイ」と呼ばれる、
額のチャクラもかかわってきます。
このチャクラは本質を見抜く「心の眼」です。
たとえ両眼を失っても、この第三の眼だけは
なくなることはありません。
チャクラというのもアンテナのようなものです。
これもまた、活性されているかどうかは、霊性によります。
自分の霊性が追いついていないと、コントロールできません。
チャクラを無理に開き活性化させるのは危険です。

人や霊の気配を感じ取ったり、
目の前にいる人の、ちょっとした心の動きが、
ふとしたことで解ってしまうのは、
あなたのオーラがアンテナとなっていたり、
第三の眼が働いているからです。
ですから、霊性が低いほど人の本心を正しく理解できない。
言葉も含め表面的なことしか解らないので、
心の奥底が読めないし、物事の本質も見抜けません。

また逆に、人の心が解りすぎたり、
霊的なものをいちいち感じとって、
辛い思いをしてきた人も、おられることでしょう。
そういった方は、髪の毛を短くするのも、一つの手です。
実は、オーラというのは髪の毛の長さの分だけ、
広がっていきます。ですので
髪の毛を短くすると、その分感度を抑えることができますよ。

霊性の低い人同士の場合、直接肌にふれないと、
心を理解し合うことが難しいでしょう。
肌のすぐ上を覆うくらいの薄いオーラですと、
よほどくっつかないと、感じとれない、伝わらないからです。
そういった人に解ってもらいたいことがあれば、
手を取ったり、肩に手をおいたりして、
スキンシップをはかりながら話しかけるのが有効です。
きっとあなたの「言霊」も響くでしょう。

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閻魔大王のルーツ

【閻魔大王】
閻魔大王様といえば、
みなさんもご存知かと思います。

子供のころに、
嘘をつくと、“地獄の閻魔様”に、
舌を引っこ抜かれるよ!
なんて、言われたことはありませんか。

「閻魔大王」とは、通称で、
正式な御神名は、

「閻摩羅夜叉(エマラヤシャ)大神」様

とお呼びし、“鬼”の大ボスでも、
人間の作り出した想像上の存在でもございません。
正神界の御霊統の、れっきとした神様で、
10次元の存在です。

この方は、よく国常立大神様やウシトラ大神様と、
イコールで結ばれ、同一存在のように云われておりますが、
厳密には、別の存在です。

艮(ウシトラ)大神様の荒魂と奇魂
国常立大神様の幸魂
素盞鳴(スサナル)大神様の和魂と幸魂
元無極躰主王(モトフミクライヌシノ)大神様の荒魂と和魂
高皇産霊大神様の荒魂と幸魂

以上、五柱の神様の分け御魂に、
国常立大神様・豊雲野大神様が息を吹き込まれ、
お生まれになりました。

つまりは、国常立大神様とウシトラ大神様、
どちらの神様の意識も持ってらっしゃるんですね。

地(つち)の国(地獄)の主宰神です。
地の国とは、根の国・底の国のあるところです。
本当は「地獄」という呼び方はいたしません。

そして上層中有界で審判をされています。
2009年3月に、上層下層に分離された新しい中有界に
移されるまでは、移転以前の中有界にて、
審判を下しておられました。
下層中有界では大国主神様が審判をされておられます。
しかし、大国主神様がこの下層中有界の主宰神かというと
そうではないそうです。

ギリシア神話に出てくる冥府の王ハデスとは、
閻魔大王様のことです。

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テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

悟り

ある方が、こう云われておられました。
「私は、人間が悟れないということを、悟りました。」と。
毎日講習会を開き、道を説いて、
それに毎日参加していても、
なんにも変化がない。改心しない。
ただ、聞いているだけ。
いつも、どうしたらいいでしょうか。と、
頼るだけで、実践しようとしない。
それで、こういうことを思ったのだそうです。

今の私の心境に、ぴったりだと感じました。

考えてみれば、人がそう簡単に改心出来るものならば、
キリストやお釈迦さまが、とっくにやってのけて、
今ごろ地球はアセンションしてるでしょう。
この世に真理を開いた尊い方でも無理だったんです。

多くの人が、自分自身を省みるのでなく、
自分の悩みの種の誰かが、どうしたら変わってくれるか、
それには自分はどういう対応をしたらいいのか、
といったことを求めてこられます。

逆なんです。
外=他人が主で、内=自分が従になってるんです。
これは、立派な「体主霊従」です。
自分の苦を解消したいからと、
他人が変わることを欲し、裁いているのです。

“自分が変わる”には、
相手にどういった心で対応すればいいのか、
相手と和するには、自分の心の在り方を、
どう変えていけばいいのか、自己に問うてみる。
そういった自分の改心への実践ができる。
それが「霊主体従」の姿勢ではないでしょうか。

 ***

素直になれよ
素直に素直に受けとめなされよ
真素直一等ぞ
そなたが腹を立てておる訳は何ぞ
自分に思い当たることあるからではないか
苦しめ苦しめ もがけ
それから気づけよ
気づきたら 正せよ 悟れよ
解りたら喜べよ
嬉しいと思うたら 皆に喜び伝えよ
喜び分けなされよ
うれしうれし たのしたのしのはじまりじゃ
(2013年1月21日 ウシトラ大神様)

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テーマ : 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル : 心と身体

真の許し―それでいいんだよ、是は是、非は非。

過去記事で「許す心」について、
少しふれたことがあるのですが、
やはり、「難しい」「なかなかできない」
と感じる人が、ほとんどでしょう。
そりゃそうです。
どう考えても間違っていること、ひどい仕打ちを許せだなんて、
その上、感謝しろ?できないですよね~
やっぱり譲りたくない、曲げたくない、というよりも、
「そんなの無理」というところでしょう。
いいんです。
人の真の無さ、曲がった行いは、許せなくても、
しかたがありません。それが通常です。

「許し」とは、曲がったことを、
認めよ、ということではありません。
非を是とせよ、ということではないのです。
多くの皆さんが「許し」で行き詰まってしまうのは、
ここのところが原因ではないでしょうか。

私は「自分も許せること」と
何度かお伝えさせていただいています。
「許せない」と憎しみと悲しみを抱く自分を、
ダメ人間と責めるのではなく、許してあげてください。
それでいいんだよ。
そう思うことは、仕方がないんだよ、
悪いことは悪いことで、いいんだよ。
もういいから、思いを切り離して、
そんなの、いらないから、捨てようよ、
捨ておいても、いいんだよ、大丈夫だから。と。

そして、その想いを捨て去る時には、
「今まで、ありがとう…」という気持ちで、
ハグしてあげてください。

さまざまな苦労を乗り越えて、
人は、心に学び、精神が向上するのです。
あの時、経験した苦労があるからこそ、
今の自分があるんです。
けっして、至らなかった自分を呪わないでください。
ありのままの自分を、受け入れてください。

曲がったことは、曲がったことです。
神の道から外れていることを、
認め、許すようなことは、できなくていいんです。

薄暗い世界を心の奥に、しまわないで、
自分自身が、その波長の世界から、
圏外に出てしまえばいいんです。
それを自分に許すことができれば成功です。

自らを本来あるべき明るい世界に置けばいいのです。

自分の中ののネガティブを、片づけられないうちは、
人の改心を考える段階ではありません。
人の汚れを始末しようとするのではなく、
自分の中の粗大ゴミから、片づけましょう。
まず汚れをとって、スッキリ片づけてから。
それから、ピカピカの光を与えましょうか。

あの人、ろくでもなかったな…、
もう知ったこっちゃないけど。と、
ときどき思い出しても、かまいません。
自分が圏外に出ていれば、たとえ近くにいたとしても、
遠い遠い、古ぼけたどこかの世界を眺めるようです。
いいんですよ。
改心しただろうか、なんて、無理して考えなくてもいいです。
冷たいように、愛がないように思われるかもしれません。
へんに、正義感や愛を与えなくては、という気持ちを起こすから、
またネガティブにつかまってしまい、
責め、裁き、負の想念がわき、
同じところをぐるぐると彷徨うことになるのです。

正義感が強く、生真面目な人ほど、
難しいことかもしれません。
でも、自分にそこのところを許可できないと、
一歩も前へは進めません。

「愛の形」というのは、ただひたすらに尽くし、
寄り添うことばかりとは限りません。
夫婦、親子だとそれでもいいのかもしれませんが、
他人だと、それに当てはまらない場合があります。
愛は、濃く重いほど、高く広く深いのではありません。
「可愛い子には旅をさせろ」
「罪を憎んで人を憎まず」
どちらも、愛の形ですよ。
かまうことをしないからといって、それをすべて
「愛がない」と決めつけるのは、あさはかです。
そばにいて、必死に引っ張りこもうとするのと、
あえて突き放し、遠くから見守るのと、
どちらの愛が、高く広く深いでしょうか。

憎しみや悲しみ、苛立ち、怒り、憤り、責め、裁き、
許せない、という、負の想念を作り出さないためには、
そのような低波長の世界に、視点を置き、
自らわざわざ入りこむようなことはしないことです。
人の粗を探すようなことは、必要ないことです。

曲がっていることは自覚させなければ。
間違いは正さなくては。
正しい道に修正してあげなくては。
もちろん、人を導こうとするのはいいことですが、
物事には、「順」「段階」というものがあります。
そして、あなたが心配しなくても、
その人にはその人の人生において、これからも
「気づき」の機会を様々な形で与えられることでしょう。
“自分の使命”だと、へんに責任、プレッシャーを背負うのも、
一旦、手放してみてください。
まずは、きれいごとからも、自分を解き放ち、開放しましょう。
なにもかも、お片づけです。
それから、必要なものだけ、レイアウトすればいいのです。

「許し」そして「感謝する」というのは、
曲がったことを認め許し、その人に感謝せよということでなく、
我を張らず、自分自身を許し、そして霊性向上のため、
そのような経験をさせていただいた、ご縁というものを、
目に見えぬ大いなる存在に、感謝できることです。
自分の「人生」というものを、「自分で祝福」できることです。

5次元周波数の領域に入った現在、
五六七(ミロク)の仕組みが始動した今年からは、
まず、自分をどんな世界に置くかが重要になってきます。
明るい、光ある世界にあって、感謝と喜びにあふれた、
居心地のいい自分になりましょう。

そうして、基本が調って、
低次元に揺さぶられることのない、不動心ができ、
あなたの本当の力が発揮されるのは、それからです。

真実のあなたは、神の光を担うことのできる、
紛うことなき神の子です。
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テーマ : 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル : 心と身体

霊体・幽体・肉体

私たち、地球上の人は、肉体を持っているわけですが、
実はこの完全物質の肉体は地球人だけなんですね。

地球以外の、高次の宇宙人種は、
アストラル体という、半物質の体をもっています。

このアストラル体というのは、幽体といいます。
「幽体離脱」を、アストラル・トラベルともいいますね。
幽体は、半物質で、他に
コーザル体、メンタル体、エーテル体とがあります。

霊体、幽体、肉体の性質を物質で例えるなら、
霊体は気体、幽体は液体、肉体は固体になります。

霊体というのは、心と魂のことです。
「魂」は一霊四魂で成り立っています。
一霊は直霊(ナオヒ)で、四魂は荒魂、和魂、幸魂、奇魂です。

直霊(ナオヒ)は四魂を引きつけてまとい、
意識体をつくっています。一霊四魂=魂=意識体です。
その魂に、心が重なっています。といっても、
魂と心が、卵のように重なっているのではなく、
フレンチ・トーストをつくるときの、
パンにフィリングがしみ込むように重なっているのです。
この、魂と心の集合体が、「霊体」です。
また、霊体を意識体と呼ぶこともあります。

○魂(一霊四魂)+○心=◎霊体

神々や天使など高次の神霊は、この「霊体」の状態です。

四魂は気です。直霊は真我ともいい、キ、気の気です。
直霊を例えるなら固体・液体・気体に続く、
第4の物質とされる「プラズマ」でしょうか。

ここまでの説明は、霊体、幽体、肉体についてでした。
そして、魂・心・体、このくくりでその性質を例えるなら、
魂は気体、心は液体、体は固体となります。
例えたら、の話ですからね。ご注意ください。

…ついてこれていますか?大丈夫ですか(笑)

幽体に話をもどしますと、
4つの幽体はそれぞれ担当が決まっています。
エーテル体は、肉体の衣、メンタル体は、心の衣、
アストラル体は四魂の衣、コーザル体は直霊の衣です。

これらは肉体の上を玉葱のように重なっているのではありません。
幽体は“液体”のように、浸透しているのです。
一二三、神幽顕、霊力体、日月地、口心行、
この、“順”は絶対です。宇宙の元からの法則です。
霊は始めで真中で内、体は後で外側、
それを結ぶのが幽であり心です。
幽体が物質である肉体の外側にはみだして
重なっているというのは、ありえないことなのです。

エーテル体は、通常、
死を迎え、肉体を出ると共に、脱ぎ捨てます。

エーテル体とメンタル体は、
肉体を持っている地球の人類しか持ちません。
宇宙の他星系の人は霊体にアストラル体とコーザル体のみです。
心に衣をまとっていないのです。
だから、彼らの心はまるハダカなのです。

高次の神霊は霊体のみで幽体をもっていませんから、
一糸まとわない真っ裸のようなものです。
私は思わずウリエルにききました。
「じゃあ、ウリエルもはだかんぼなの?
天使や神様もみんな、はだかんぼ?」
すると、「そうですよ^^私たちは皆、裸です。」
ふふ、と笑いながら応えてくれました。

人間は、幽体、肉体と二重にかぶっているから、
嘘をついたり、悪想念を隠したりできるんですね。

心とは想念体です。想念あるいは○○心理と呼ぶものは、
メンタル体に取り出され発信しているもので、
メンタル体は、心(想念)の表現媒体なのです。

コーザル体は意識体から取り出した意識情報を、
記憶貯蔵しているもので、意識の表現媒体です。
コーザル体にダウンロードされたものが、
潜在意識、顕在意識と呼ぶものです。

わかりやすく云えば、幽体は、
変換アダプタのような役割をもっているのです。
心を閉ざしてしまえば、喜怒哀楽が表現できなくなりますよね。
嬉しかったり悲しかったりの気持ちを肉体で表現でき、
人間らしくいられるのは、霊・幽・体とが、
正常に連携出来ているからなんですね。

物質世界に生を受けている以上、
霊的、体的、どちらにかたむきすぎても、
バランスを失い、正常ではいられません。

あと、シルバー・コードというものがあります。
これは、霊子線、魂の緒、とも呼ばれるもので、
メンタル体に付いています。平たく言えば、
コチラの世界とアチラの世界をつなげているものです。
自分と天を繋ぐ、命の糸です。
このシルバー・コード(霊子線)を切られることは、
死を意味します。
メンタル体に付いているということは、
心とつながっているということであり、
想念の状態がいかに重要かということがわかりますね。
シルバーコード(霊子線)を通じて、
自分の想念と波長の合う世界につながっているのです。

オーラというものは、魂そのものから発しています。
幽体がオーラを発しているということはありません。
幽体は、あくまでも霊的世界を顕在世界に現すための、
橋渡しのような役割です。霊体と肉体をつなげているんですね。
霊的情報を現実界に映すためには、変換アダプタが必要なのです。
霊体がハードだとしたら、幽体はソフトで、
肉体は、それを視覚化するモニターや、スピーカー、
ハードを覆うカバーのようなものです。

PCに怪しいソフトをダウンロードして、ウイルスに侵されたら、
正常に動作しなくなります。
人間の心と体も、ネガティブをくっつけた状態が過ぎると、
おかしなことになりますよね。
モニターになにも映らなかったり、
キーボードが壊れていたら、使い物になりません。
肉体も、大事にしなければいけません。

あなたのセルフクリーニング機能は、
正常に機能していますか。

一つの小さな花の種があります。
それは元からの、真実のあなたです。
あなたが成長するために、
カラカラの乾いた土に植えただけでは、
空気と日の光があっても、芽を出すことはできないでしょう。
そこに、“水”という要素がなければ、
芽を出して、すくすくと根をのばし、
やがて美しい花を咲かせることはできません。

花は土がなくても水だけの水耕栽培は可能ですが、
乾いた土だけでほったらかしては枯れてしまいます。
固体と気体だけでは成長が期待できないのです。

「液体」である“心”を無くしては、
干からびてしまうしかないのです。
また、濁った水(心)のままでは、途中で腐ってしまいます。
美しい花を咲かせるために、
できれば栄養たっぷりの清らかな水で満たしておきたいですね。
それが真理(神理)という水なのです。



*以下、ひふみ神示より*

自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。
無我でないぞ。判りたか。
幽界と霊線つなぐと自己愛となり、
天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ。
(秋の巻 第五帖より)

三千の世界の中の一つがそなた達の世界であるぞ。
この世も亦三千に分れ、更に五千に分れてゐるぞ。
今の人民の知り得る世界はその中の八つであるぞ。
人民のタネによっては七つしか分らんのであるぞ。
八つの世界とは、八は固、七は液、六は気、五はキ、
四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、
と考へてよいのぢゃ。キとは気の気であるぞ。
(白銀の巻 第一帖より)

怒ってはならん。急いではならん。
怒ると怒りの霊界との霊線がつながり、
思わぬ怒りが湧いてものをこわして了ふぞ。
太神のしぐみに狂ひはないぞ。皆々安心してついて御座れよ。
(月光の巻 第二十四帖より)

心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。
そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、
我のむしが生れてくるぞ。我の病になって来るぞ。
病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならんぞ。
病を浄化しなければならん。悪を殺すと云う教や、
やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ。
(月光の巻 第三十帖より)

ざんげせよと申しても、人の前にざんげしてはならんぞ。
人の前で出来るざんげは割引したざんげ。
割引したざんげは神をだまし、己をだますこととなるぞ。
悔ひ改めて下され。深く省みて下され。深く恥ぢおそれよ。
心して慎しんで下されよ。直ちによき神界との霊線がつながるぞ。
霊線つながれば、その日その時からよくなってくるぞ。
気持が曲ったら霊線が切り替えられる。
(月光の巻 第五十五帖より)
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五六七(ミロク)の仕組み始動―ミロクとは

【弥勒菩薩】
誰もがその名を一度は聞いたことがあると思います。
この方は、国常立大神様の和魂と奇魂の分け御魂で、それに
素盞嗚大神様が息を吹き込まれ、お生まれになりました。

弥勒菩薩さんは5次元の存在です。
菩薩世界は「月の内部世界」にあり、
弥勒菩薩さんは、この月の内部世界に住んでいます。

満月、上弦、下弦、新月の時には、地上のすべての人に向け、
月からチューニングエネルギーが発信されています。
どういうものか簡単に説明いたしますと、
地球の次元周波数と、肉体の次元周波数とを、
合わせられるようにサポートするものです。これは、
月の内部世界に住む弥勒菩薩さんから発信されているのです。
魂を曇らせ、霊性を低めていると、うまく受信できません。

心と魂を浄めるのは、
誰かにしてもらうことではありません。自分です。
自分を救うのは、自分なんです。
ネガティブをとことん片付け、自らを救うことができないと、
自分の霊性(次元)が向上することはありません。

国常立大神様は、15次元の神様です。
その意識を、5次元まで降ろしているのです。

弥勒菩薩さんが5次元周波数の存在であるのには、
それなりの意味あってのことなんですね。
仏も天使も、皆神々の分霊たちです。
ひたすら人の救済のため、神々は次元を降ろしてまで
御働きくださっているということに、誰に言われなくとも
自分で気づき、感謝できることがたいせつです。

【五六七(ミロク)神】
艮(ウシトラ)大神(艮金神)様の奇魂の分け御魂に、
国常立大神様が息を吹き込まれ、お生まれになりました。

五六七の神様は、7次元神界の存在です。
ほとんど知られていない神様ですが、見ての通り、
弥勒菩薩さんとは、出生も異なる、
違う次元に住む別々の存在であり、同一存在ではありません。

言ってしまえば、艮大神様のコピーのような神様です。
艮大神様は、12次元の神様です。
艮大神様がある御働きのために、必要があって、
次元を降ろした意識存在ということですね。

現在この地上には、五六七(ミロク)神様の分け御魂36人、
弥勒菩薩の分け御魂36人、計72人が降ろされています。
このミロクたちが活動しはじめることを、
「五六七(みろく)の仕組み」といいます。

ミロクの分け御魂たちは日本国内だけに
ひしめきあっているのではありません。世界中に降りています。
この方たちが活動するということは、すなわち、
地の祖、国常立大神様と、
国の祖、艮大神様の「意識」が、
地に降り立ち、御働きになるということです。

彼らが自ら、ミロクの生まれ変わりなどとは、
絶対に名乗ることはありませんし、名乗り出ることはできません。
名乗ったとたんに、ニセモノ確定です。
ですので皆さん、騙されないよう十分ご注意ください。

昨年2012年までは、三四五(みよいづ)の仕組みでしたが、
今年の2013年1月3日より、
「五六七(みろく)の仕組み」が始まりました。
三四五(みよいづ)とは、御代出づの道、
神の御代へ向かうために、神々が始動することです。
'13.1.3.ということで、「13」の数が浮かび上がります。
「13」の数霊は、高次元世界の扉を開く、
高次の意識とつながる、という意味をもちます。
五六七(みろく)の仕組みとは、日月地の道、いよいよ、
日月地(ミロク)の世への移行計画を、遂行することです。

アセンション後の地球について、
よく「ミロクの世」と呼ばれますが、
この「ミロク」の意味は、五六七神や弥勒菩薩とは、
切り離して考えた方が、解りやすいでしょう。
この「ミロク」のロクを、
数字の6で連想するのはしかたのないことですが、
これは古代中国の発音に由来しており、
古代の大和言葉では、6は「ム」といいます。
“ロ”とは万(ヨロ)の短縮です。

「ミ」:三、満つ、水、瑞、つまり、
真の瑞(水)は陽の働きですので、太陽の「日」です。
「ロ」:万(よろ・よろつ)の略。和す、治める。
運航や循環。これは「月」です。
「ク」:九、至り、完成、括り。「地(くに)」の短縮形。

「五」:厳(いづ)、御厳(みいづ)。出づ。
「六」:睦、集まるさま、群れ。結ぶ。生む。
「七」:成る。国。和ぐ(和す)。やわす、収める、直す。

ミロクの世=日月の地(くに)であって、
「日月地(ミロク)の世」、ヤマトの国開きなのです。
マコトの地の天照大神、日の神が、
いよいよ御出座しとなり、守護する地となるのです。
そして、その日月地の世に入る人は、日月地の神民なのです。


今回の情報は、事代主神様よりお教えいただきましたm(__)m。
事代主の神様にお聞きし、
初めて五六七神様の存在を知ることとなりました。

こうして、記事を書いていると、
私の左の肩や頬の片側だけが、
焚火にあたっているかのように、熱くなってきたんですね。
なんと、噂を聞きつけてか、五六七神様が来られたんです。
いえたぶん、ミロクについて考えながら書いていたものですから、
私の方がお呼びしてしまったのかもしれません。
太陽の日の光の温かさではなく、
「火(厳)」のエネルギーを感じました。
“火垂り”だから左側に来られるんですね。
大国主神様も、意外に思われるかもしれませんが、
これとよく似た、「火」の温かさを感じるエネルギーでした。
大国主神様については、またの機会に綴りたいと思っています。

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DNAと次元周波数と霊性

以前に、DNAについて、旧ブログでふれたことがあります。
その人の霊性の上がりかたによって、
DNAがどこまで開かれるかが決まってきます。

今回は、DNA何条が開かれていたら、
自らのもつ次元周波数がどれくらいかを、
お伝えさせていただきます。

人間のDNAは36000本あって、全12条あります。
既存では2条まで開かれていますが、
「DNA2条」までが開かれている人のもつ次元周波数は、
「4.9~5.1」となっています。
このレベルの人は、社会主義、体主霊従の人です。

下限は無くて~5.1ではないところにお気づきでしょうか。
地(つち)の国(地獄)の次元周波数は、3.1~4.8です。
DNA2条の範囲が次元周波数4.9からということは、
人としての基本すら閉ざし、この2条すら落としてしまえば、
人とは呼べませんから、獣になり下がるだけということです。

「DNA4条」までが開いている人のもつ次元周波数は、
「5.2~5.5」です。
ここまで開いている人は、真の「信仰」に目覚めた人です。
目に見えない世界を信じられる人たちです。
「霊主体従」で生きています。
“真の信仰”ですから、曲がった教えを信じばらまいていれば、
このDNA4条が開かれるどころか、2条でさえも失いかねません。

次元周波数5.2~5.5は、
ちょうど現在の地球の次元周波数帯とピッタリ同じです。
つまり、この4条が開いていて、地球の波動と合っている人が、
一応、「浄化済み」ということになります。
しかしこれでは宇宙の異次元領域に来ても耐えられません。
“その時”が来たとしても、
水星の地中世界「テラノバ」へは難しいところですが、
地球の内部世界「アガルタ」へは入れるそうです。

ちなみに、地球の次元周波数は、
近々5.3~5.6に引き上げられる予定です。

「DNA6条」まで開いている人の次元周波数は、「5.6~5.9」です。
6条まで開いている人は、確実にテラノバに入ることができます。
このレベルの人たちは、「直感」の人です。
誰かにうさんくさい話を教わらなくても
自分でなんとなくわかっています。
目に見えない存在と交信したり、
異次元世界へのアクセスが可能となります。

地球の次元周波数は、2016年までに5.5~5.8に
引き上げられる予定だそうです。
つまり2016年以降の地球の次元についていくには、
自らの次元をここまでは引き上げておく必要があります。

「DNA8条」までが開いている人の次元周波数は、
「6.0~6.4」です。
このレベルに達する人はほとんどいません。
8条が開いている人は、
「想念」を自在に具現化できる力を持ちます。
かつての時代の、アトランティス人や
レムリア人の多くが、そうでした。
ここまで開いていると、天使やアセンテッドマスターなど
6次元存在との交信が自由にできます。
そして、この8条が、一般の人間が開くことのできる、
限界レベルとなります。

皆さんが関係あるのは、このDNA8条までです。
ここまでは大天使ガブリエルにお教えいただきました。
が、10条以上のことは、
大天使にもお釈迦様にもわからないそうなので、
ガブリエルを介し、事代主尊様にお訊きいたしました。
事代主尊様は、とても物知りなインテリ系の神様です。
ここからは、雲の上の人のお話になります。

10条以上のことは、天使でさえも、
知ってはいたとしても語れないんです。
つまり、天使よりも次元が高い方がもつDNAということです。
DNA12条までの全部を開条できるようなうまい話には、
くれぐれもご注意くださいね。

DNA10条まで開いている人は、6.5~6.9です。
ここは一般人にはとうてい不可能なレベルです。
特別な御役があって降りてきている聖人クラスの人です。

DNA12条まで開いている人は、7次元以上です。
7次元以上というのは神界の領域です。つまり、
このDNAが開くのは、魂自体が元から正神界に属する存在、
神の「本霊」で降りてきている神人のみです。

太古の地球・神代の世、いわゆる神話の時代というのは、
この神人の住まう世界だったのです。

アセンション後の地球に入るには、
人が、神や聖人の次元レベルにまで、
向上させなければ、というのではありません。
それは、どうあがいても、不可能なことなのです。
元々の生来、霊統というものは変えられません。
神の域まで到達したように思いこみ、
神の生まれ変わりのようなことをふれまわるアヤシイ人には、
取り込まれないよう十分にお気を付けください。

ミロクの世・ヤマトの国開きとは、
神、霊、人共に和し幸う、
神代のような世を、よみがえらせるということです。

それにはまず、DNA6条まで開くよう、
心と魂の掃除洗濯、いたしましょうね。
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ネガティブからの開放―自己の大建替

旧ブログの頃より、「負の想念を手放す」といったことを、
度々お話させていただいておりましたが、
頭ではそうしたほうがいいということは、
わかっていても、いざ実践となると容易ではなく、
同じところをぐるぐると彷徨い、
苦しんでおられる方が多いかと、お見受けしております。

今現在、この地球上の次元周波数は、5次元領域に入っています。
1999年の1月から2012年10月までは、4次元の周波数帯でした。
つまり、1998年までは、地球上の次元周波数は、
3次元だったのが、現在は5次元にまで上昇しているのです。

5次元になるということは、
浄化作用がいっそう増すということでもあり、
好転反応が出てくるということです。
私は前々から、「ネガティブの表面化が激しくなる」と、
お伝えして参りました。

自らの内に溜め込んだ、ネガティブは、
体の不調や、ときには重い病として現れたり、
怪我をしたり、生活の中で流れが変化しトラブルが起こったり、
さまざまな形で示されることもあるでしょう。

ある程度浄化ができていて、霊性の高まってきている人は、
メンタル面でのあぶり出し状態になり、
苦しむ人が増えるでしょう。
なぜ浄化済みの人かというと、
普段から闇まみれで魂を曇らせている人は、逆に、
マヒしていて、自己の潜在意識に気づきにくいからです。

もう、とっくの昔に葬り去ったはずの辛い記憶が、
なぜか復活して、過去に済んだことであるのに、
中には自らの命を絶とうとまで考え、
たいへん苦しみぬく人もおられるようです。

誰にでも、自分の心の中の奥深くに、
閉じ込めておきたい、辛く苦しい過去が、必ずあるものです。
あの時、誰がああしたこうした、と、
憎しみと悲しみで心がいっぱいになり、
そして、涙があふれ、
このままでは辛いから、忘れようと、また、
心の奥に、しまいこんでしまう。

皆さんは、ご自分の10代のころを色に例えると、
何色だと思いますか?
私は、以前には「鉛色」と応えていました。
でも今は、「セピア色」に変わりました。
この違いがなんであるか、わかるでしょうか。

憎しみと悲しみに覆われた、辛い過去を、
二度と開けないつもりで封印していたものが、
今では、私の中の歴史書の1ページに、
堂々と、記されているのです。

私の人生にも、言葉では語りつくせないほど
いろいろとたくさんありましたが、
転機となったエピソードは、
昔、私は職場の上司のことで、
とても辛い思いをした時期がありました。
いわゆるパワハラというやつです。
訴えられなかったのが奇跡と思ってほしいくらいでした。
そのときは、そう思っていました。

心の中はいつも、恨み節でいっぱいでした。
どうしたら変わってくれるのかと、
いつも考え、責め、裁いていました。
仕事を辞めたくてしかたがありませんでした。
でも、ここで辞めると自分に負けてしまうと考えていました。

その後、その上司は、異動があり、
表向きの昇格という、事実上の左遷となりました。
本人は気づいていなかったようですが、
以前から本部のエライ人にマークされていたのです。

しかし、目の前からいなくなってもなお、
前述のパターンにはまってしまい、
たまに思い出すと…という状態でした。

ところが、その後にも、私の身にある苦しい“行”が降りかかり、
一番の大転機となったのち、
神理というものにふれ、神霊とのかかわりが増すうちに、
わかってきたことがありました。
あのような「力主霊従」「弱肉強食」の人は、
想念が、底の国(冥界)につながっているのです。
そのレベルの魂の人は、自分で自分を落としていて、
そのまま改心できないでいると、
ろくでもない末路になるということ。

でもそれは本人が選んだ道の結果であって、
その不協和音に揺さぶられ、引きずり込まれる必要はあるのか。

自分が、本来あるべき領域から、揺るがなければいいんだ。
わざわざ不協和音に聞き耳をたてて、苛立ち、憤り、
自ら負の想念を作り出すようなことは、
しなくていいんじゃないか。
それをしてたら、永遠に自己の掃除洗濯が進まないんじゃないか。

ハッと気がつきました。

ああ、そうか。と。

憎しみも悲しみも、もう思わなくていいんだ。

裁きは、神様に任せておけばいい。
だから、人である私は、その思いを捨てるだけなんだ。
どうせろくなことにならないから、
ザマーミロ、アッカンベー、くらいに思っておけばいい。
そういう心持ちはいけないんだと、決めつけていた。
その人の改心なんか、考えなくていい。
愛に目覚めてほしいだなんて、祈らなくていい。
今はただ、思いを、切り離したらいいんだ。

今は、それでいいんだ。

なんだ。そんなことだったのか…

きれいごとに、とらわれていた。

もう、いいや。
こんなのいらない。捨てよう。

私の中から、ネガティブが離れ、開放された瞬間でした。
それからは、そのことを思い出しても、
そのほかのどんな苦い過去を思い出しても、
なにも心が揺さぶられないし、感情も動きません。
ネガティブな思いも、涙も、出てこなくなりました。
鉛色だった写真は、セピア色に変わりました。
けっしてバラ色にはなりえませんが、
古ぼけた写真をながめるように、なつかしく思うだけです。

過去を振り返らないって、
思い出さないように、封印することじゃなくって、
こういうことだったんだ…と、合点しました。
いつでも閲覧できる自分の中の歴史書の中から、
ネタ話として、いくらでも読み返していいんだと。

不思議。
自分の思いかたが変わるだけで、
周りの流れも、どんどん変化していきました。

それからしばらくたったある日、偶然にもすれ違う機会があり、
私は晴れやかな笑顔で、普通に挨拶をする気でいましたが、
気づかないフリをされてしまいました。
なんだ。意外と肝っ玉が小さいのね。

物事には、順というものがあります。
床の大掃除をするには、まず、余計なものを片づける。
汚れをふき取らずに、いきなりワックスがけはできません。
どこを掃除するにもまず、
いらないものを捨てる。汚れを取る。洗い流す。
それから、ピカピカに磨きあげる。
磨きあげ、光を与えることは、汚れを取ってから。
汚れを取らないうちに、光を欲しても、輝きはできませんね。

人は、他人を憎しみ、裁きながらも、
どこかで、愛情を欲し、求めています。
変わってほしいと願ってしまいます。
だから、憎しみと執着が生まれ、
思いを切り離すことができないのです。
その、愛を求めることさえも、
捨て去る勇気を、持ってください。
そして、愛を与えようとすることも、無理しなくていいんです。

憎しみも恨みも、怒りも悲しみも、不安も恐怖も、
責めることも裁くことも、
すっかり手放すことができ、楽になって、
自分の芯がしっかりと通り、
ネガティブの波長に、ぶれない自分ができ自信を持てること。

そうして、ゆとりが生まれたときに、そこではじめて
誰かの、真の愛への目覚めと、笑顔を、祈れば良いのです。
…と、昨年までなら、そう云っていたかもしれません。

魂の上では、もう仕分けは済んでいます。
5次元周波数となった現在の地球上では、
光側か、闇側か、自分の霊性どおりの結果が、
眼に見える形で、はっきりと分かれてゆきます。
あなたの霊性に合ったほうへ、分かれゆくのです。

自分の中の闇を、そっとしまいこんで、目覚めさせないよう、
寄り添いながら生きていける時代は、
4次元周波数だった昨年秋までの話です。
他人の闇を見つめ、裁く必要も、
比較して反面教師にする必要もありません。
それに心が揺れ動き、翻弄される必要もありません。
わざわざ低次元の波長に入りこむことはないのです。
自己の“掃除洗濯”につとめるのみです。
裁きは、神が行います。
あなたは、光の見える、明るい方だけを目指せば良いのです。

感謝と喜びの想いで、心を満たしていてください。
それがそのまま、あなたの祈りとなっていくのです。
真の祈りとは、かしこまって念を送ることではありません。
わざわざ祈るようなことはしない。と決めているあなたも、
感謝の心で過ごしていれば、実は、
すでに祈りを奉げていることになるのです。

闇にとらわれたまま、落ちてゆくのか、
自らを開放し、光り輝いてゆくのか。

あなたが、自身の執着に気づき、
粗大ゴミとして捨て去る決意ができるかどうか。
自分の体の縦中心、へその下から頭部まで、
破邪の剣がスラリと立っているのを
イメージしてみるのもいいですよ。

これは、自分の中のの祓い浄めであり、
建て壊しと建て直しでもあるのです。

自分の中の、大建て替えが、始まっています。
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5次元に合わせる…カギは「許す心」

旧ブログの時から、次元周波数のことについて、
よくお話させていただいておりますが、
次元とその周波数について、もう一度おさらいしておきます。

次元とは、ヴァイブレーションです。
振動です。響きです。
つまり次元の周波数とは、「波動」です。
音も光も空気中を波として伝わります。
音響で5.1chサラウンドとか聞いたことありますよね。
数字はその次元のもつ波動の大きさによって、
領域として表すためのチャンネル数です。

その次元のヴァイブレーションの大きさ長さや密度の、
さまざまなパターンのことを「波長」といいます。
波長が合う・合わない、波長が整う・乱れるとか、
低次元は粗い波長だとかいいますね。

たとえば、夜空にレーザー光を放つと、
発振元から離れるほど光は拡散されて届きにくくなります。

高次元であるほど、波長が細かく拡散しにくいので、
遠くまで届く、きめの細かい大きなエネルギーとなり、光も強く、
幽界(根の国)が薄暗いのは、粗い波長で弱い光であるからです。
FMラジオがクリアでキレイな音声なのに対し、
AMによそからの雑音やノイズが入りやすいのは、
低い波長を使っているからで、
波の密度が粗いということは、
余計な“雑音”が入りこみやすいということ。
人自身の次元が低いと邪霊につけこまれやすいというわけです。

人間のオーラもその人の次元の波動、つまり霊性によって、
かなり違ってくることになります。
霊性の低い人は、それはそれは薄いヴェールのようですが、
霊性の高い人は周囲何メートルまでも伸びゆく光なのです。


なんとなくは、わかっていただけたでしょうか。

現在、地球上の次元周波数は5.2~5.5ですが、
これは、日本であろうとアメリカであろうと、
同じ地域内でも、5.2のところあれば5.5の地域もあって、
幅があるということです。

地球放送局のチャンネルは5.2~5.5です。
これをクリアで美しい音で受け取るには、
自分自身の次元周波数も合わせなければならない、
ということですよね。
それが「霊性の向上」ということです。
うまく受信できていない状態では、
雑音やノイズばかりが入ってくるように、
自分の次元が高次元に追いついていないと、
そのエネルギーを受け取ったり、
高次の意識とつながったりができないのです。

高次元の波長に合わせることとは、
霊力を上げることではありません。
無条件に愛する心、慈しみ、思いやり、調和、許し、勇気、
喜び、笑い、素直、純粋、悟性、真善美。
高次の光の世界の視点に、自分も立つということです。

闇の世界に迷い込んで、抜け出せないでいるあなた。
もうそろそろ、許してもいいのではないでしょうか。
他人も、そして自分自身も。
人の真の無さを、いつまでも責め、裁いていても、
自分の首を絞めているようなものですよ。
そこから、想いを切り離しましょうか。
切っていいんです。
すっかり許して、切り離したら、もうふり返らないでください。

もしも、自分の霊力を過信して、
肝試しのような心でいるのなら、それも捨ててください。
中途半端な正義ならいりません。
かえって高次の存在の仕事を邪魔するだけです。
霊能力がある人は、必ずしも霊性が高いから、とは限りません。
それはその力を通して、あなた自身の「学び」のために、
必要であるから与えられた力なのです。
そこから気づかされたことが、たくさんあったはずです。
あなたは、その力によって体験したことで、
自分をどう見つめましたか。

暗闇の世界から、自分をすっかりと救いだせるのは、
あなた自身でしかなしえません。
誰かが助けてくれたとしても、一時的です。
逃げ出しても、忘れようとしても、
根本から正さなければ、あなたはまた、
舞い戻ってしまうでしょう。
なにもかも、許せる心になれることです。
それが、光の扉へのカギです。

光に焦点が合わせられると、自分の軸がしっかりと定まり、
低次元に、感情が揺さぶられることもなくなります。

地球が5次元周波数へと完全上昇した今、
闇を見つめることは、必要のない時代に入りました。
勧善懲悪の古い考えの時代は、とうに終わっています。
ひたすら、光を目指してください。
顔を上げて、光を見つめて、前進してください。

そして、自分の真の力を発揮してください。

5次元に自分を合わせるということは、
光を見つめてゆくということです。
心の眼には、あなたのつながっている世界が映っています。
それは、薄暗い世界ですか、それとも、
光り輝く世界ですか。
あなたの心の眼には、今、どんな世界が映っていますか。
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2013年のキーワード

12月30日、2時42分(14:42)に、
我が家の時計が、止まっていました。

あれ…、これは、デジャブ?^^;

一昨年の年の瀬にも、居間の掛け時計が止まっていたんです。
13時52分で。
それで、新しい電池に入れ替えたんですが、
その数日後の大晦日、12月31日にまた止まっていたんです。
08時52分で。

電池を入れ替えて、数日しかたってないのにです。
結局、新しい時計にかけ替えたんですね。
その件は旧ブログで記事にしているので
詳細は省略させていただきますが、、
この古い時計から新しい時計に掛け替えるということにも、
重要なメッセージが隠されいて、
古い時の刻みから新しい時の刻みへと
移り変わる準備がはじまっているよ、ということで、
昨年2012年秋、ついに古い時間軸は完全になくなりました。
そして、完全に5次元周波数へと上昇しました。
数霊のメッセージの通りになった2012年でした。

で、2年連続で今回も止まった我が家の時計。
これは、また何かあるな。と感じ、
数霊の意味をざっくりと解いたタイミングの
止まってから約1時間半後の夕方、ふと時計を見たら、
動いているんです。
それで、時間を合わせて様子を見ていたら、
…ん?秒針が動いていない。
また止まっていたんです。6時40分(18:40)で。
それでおどろいて、18と40の意味はなんだろなーと、
キーワードだけ調べて、それにまたおどろいていたタイミングの、
30~40分後、時計を見たら、動いている。
しらっと動いているんです。

そして今、時計はな~んもなかったかのように、
時を刻んでいるのでした。
電池は入れ替えてないのに、遅れることもなく、
いつもどおりに動いています。
まるで、何かの力がかかっていたかのように、
不思議なできごとでした。

数霊【2】
調和 2元性の働き

数霊【14】
完成と開花 統合と夜明け
異なる2つの意識(働き)が寄り添い新たな力を放つ
〈数霊14をもつキーワード〉
ここ、帰依、気運、明日(あす)、永遠、音叉

数霊【42】
異なる2つのエネルギーが、
調和しバランスを保ちながら花開く数霊。
〈数霊42をもつキーワード〉
皇子(巫女・神子・御子)、星、朝日、季節、荒(現・表)、
ソヒ(十一)、本音、喪明け

「2」「14」「42」とも、
二つのエネルギーや意識を表す意味をもっています。

「42」のキーワードには、ソヒ(十一)があります。
数霊「11」は「扉」の意味を持ちます。
「朝日」は日の出、
そして、「アラ」がありますので、「現る」ですから、
42は「扉より出づる」「開花する」という意味の濃い数です。

2つの「21」が合わさった数でもあります。
21は「神意」の意味がありますので、
「二つの神意」まさに、異なる2つの意識が開花する数霊です。

しかも、「14」と「42」を足した、
数霊「56」のキーワードは、「降臨」なんです。

数霊【56】
創造・具現化する意識エネルギーが響き渡る数霊
〈数霊56をもつキーワード〉降臨、祝い、螺旋、波、来光

さあ、、、意味深ですねぇ…
いよいよ、どなたかが扉より御出座しになるのでしょうか。
それはご夫婦の神様かもしれませんね。

そして人レベルの視点では「善い想念の具現化」と
火と水のように、異なるもの同士の調和と、
自らの開花ということになりそうです。

2度目に止まった時刻の「18」と「40」ですが、
これは「光明の扉が開き放たれる」という意味です。
希望に満ちあふれた始まりと展開を表します。

個人的な意味ではかなりうれしい雰囲気ですが、
「18」のキーワードには、「ウシ」があります。
ウシとくれば、、、トラ?
トラの数霊は、「58」です。
なーんだ、関係ない数字じゃんと一瞬思いましたが、
よく見るとこれは…、18と40を足した数ではありませんか。

数霊【6】
創造 結び
〈数霊6をもつキーワード〉愛

数霊【18】
光明の扉 希望に満ちたスタート
〈数霊18をもつキーワード〉
ウシ(丑・牛)、菊、恩師、紫苑、素因、根気、古今

ちなみに「紫苑」とは別名「思い草」といって、
秋に薄紫色の花を咲かせるキク科の植物です。

数霊【40】
開花 展開
〈数霊40をもつキーワード〉
陽、思念、天地、種、西、意味、父

数霊【58】
神意、神性の意識、真の意識が開ける、栄える
〈数霊58をもつキーワード〉
トラ(寅・虎) 新た、加護(籠)、不変、イヤサカ、感謝、呼吸

「40」のキーワードに「思念」がありますが、
この「思念」の“ん”は「1」ですので、
目に見える、表に現れたものを意味しますので、
ここでも、想念の現実化、具現化がでてきます。

浄化済みの人たちにとっては、
希望に満ちた輝かしいスタート、展開となりそうです。
そして自らの使命に気づく人が増えることでしょう。

気になったのは、数霊「40」のキーワード、
「天地」と「種」でふと思い出した、ひふみ神示のある一文です。
(日の出の巻第二十帖より)
「天に一柱 地に一柱
火にも焼けず水にも溺れぬ元の種隠しておいての今度の大建替ぞ」

これについて多く語るのは控えておきますが、
神話などでは隠された、または
捻じ曲げられて伝わっている存在がおられて、
神話では多くは語られていなかったり、
その後の神話が伝えられていなかったり謎の多い神様です。
この御方々が、
御出座しになる時が迫っているということだけは確かです。

全体的には、とても祝福された、めでたいメッセージのようです。
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