私たち、地球上の人は、肉体を持っているわけですが、
実はこの完全物質の肉体は地球人だけなんですね。
地球以外の、高次の宇宙人種は、
アストラル体という、半物質の体をもっています。
このアストラル体というのは、幽体といいます。
「幽体離脱」を、アストラル・トラベルともいいますね。
幽体は、半物質で、他に
コーザル体、メンタル体、エーテル体とがあります。
霊体、幽体、肉体の性質を物質で例えるなら、
霊体は気体、幽体は液体、肉体は固体になります。
霊体というのは、心と魂のことです。
「魂」は一霊四魂で成り立っています。
一霊は直霊(ナオヒ)で、四魂は荒魂、和魂、幸魂、奇魂です。
直霊(ナオヒ)は四魂を引きつけてまとい、
意識体をつくっています。一霊四魂=魂=意識体です。
その魂に、心が重なっています。といっても、
魂と心が、卵のように重なっているのではなく、
フレンチ・トーストをつくるときの、
パンにフィリングがしみ込むように重なっているのです。
この、魂と心の集合体が、「霊体」です。
また、霊体を意識体と呼ぶこともあります。
○魂(一霊四魂)+○心=◎霊体
神々や天使など高次の神霊は、この「霊体」の状態です。
四魂は気です。直霊は真我ともいい、キ、気の気です。
直霊を例えるなら固体・液体・気体に続く、
第4の物質とされる「プラズマ」でしょうか。
ここまでの説明は、霊体、幽体、肉体についてでした。
そして、魂・心・体、このくくりでその性質を例えるなら、
魂は気体、心は液体、体は固体となります。
例えたら、の話ですからね。ご注意ください。
…ついてこれていますか?大丈夫ですか(笑)
幽体に話をもどしますと、
4つの幽体はそれぞれ担当が決まっています。
エーテル体は、肉体の衣、メンタル体は、心の衣、
アストラル体は四魂の衣、コーザル体は直霊の衣です。
これらは肉体の上を玉葱のように重なっているのではありません。
幽体は“液体”のように、浸透しているのです。
一二三、神幽顕、霊力体、日月地、口心行、
この、“順”は絶対です。宇宙の元からの法則です。
霊は始めで真中で内、体は後で外側、
それを結ぶのが幽であり心です。
幽体が物質である肉体の外側にはみだして
重なっているというのは、ありえないことなのです。
エーテル体は、通常、
死を迎え、肉体を出ると共に、脱ぎ捨てます。
エーテル体とメンタル体は、
肉体を持っている地球の人類しか持ちません。
宇宙の他星系の人は霊体にアストラル体とコーザル体のみです。
心に衣をまとっていないのです。
だから、彼らの心はまるハダカなのです。
高次の神霊は霊体のみで幽体をもっていませんから、
一糸まとわない真っ裸のようなものです。
私は思わずウリエルにききました。
「じゃあ、ウリエルもはだかんぼなの?
天使や神様もみんな、はだかんぼ?」
すると、「そうですよ^^私たちは皆、裸です。」
ふふ、と笑いながら応えてくれました。
人間は、幽体、肉体と二重にかぶっているから、
嘘をついたり、悪想念を隠したりできるんですね。
心とは想念体です。想念あるいは○○心理と呼ぶものは、
メンタル体に取り出され発信しているもので、
メンタル体は、心(想念)の表現媒体なのです。
コーザル体は意識体から取り出した意識情報を、
記憶貯蔵しているもので、意識の表現媒体です。
コーザル体にダウンロードされたものが、
潜在意識、顕在意識と呼ぶものです。
わかりやすく云えば、幽体は、
変換アダプタのような役割をもっているのです。
心を閉ざしてしまえば、喜怒哀楽が表現できなくなりますよね。
嬉しかったり悲しかったりの気持ちを肉体で表現でき、
人間らしくいられるのは、霊・幽・体とが、
正常に連携出来ているからなんですね。
物質世界に生を受けている以上、
霊的、体的、どちらにかたむきすぎても、
バランスを失い、正常ではいられません。
あと、シルバー・コードというものがあります。
これは、霊子線、魂の緒、とも呼ばれるもので、
メンタル体に付いています。平たく言えば、
コチラの世界とアチラの世界をつなげているものです。
自分と天を繋ぐ、命の糸です。
このシルバー・コード(霊子線)を切られることは、
死を意味します。
メンタル体に付いているということは、
心とつながっているということであり、
想念の状態がいかに重要かということがわかりますね。
シルバーコード(霊子線)を通じて、
自分の想念と波長の合う世界につながっているのです。
オーラというものは、魂そのものから発しています。
幽体がオーラを発しているということはありません。
幽体は、あくまでも霊的世界を顕在世界に現すための、
橋渡しのような役割です。霊体と肉体をつなげているんですね。
霊的情報を現実界に映すためには、変換アダプタが必要なのです。
霊体がハードだとしたら、幽体はソフトで、
肉体は、それを視覚化するモニターや、スピーカー、
ハードを覆うカバーのようなものです。
PCに怪しいソフトをダウンロードして、ウイルスに侵されたら、
正常に動作しなくなります。
人間の心と体も、ネガティブをくっつけた状態が過ぎると、
おかしなことになりますよね。
モニターになにも映らなかったり、
キーボードが壊れていたら、使い物になりません。
肉体も、大事にしなければいけません。
あなたのセルフクリーニング機能は、
正常に機能していますか。
一つの小さな花の種があります。
それは元からの、真実のあなたです。
あなたが成長するために、
カラカラの乾いた土に植えただけでは、
空気と日の光があっても、芽を出すことはできないでしょう。
そこに、“水”という要素がなければ、
芽を出して、すくすくと根をのばし、
やがて美しい花を咲かせることはできません。
花は土がなくても水だけの水耕栽培は可能ですが、
乾いた土だけでほったらかしては枯れてしまいます。
固体と気体だけでは成長が期待できないのです。
「液体」である“心”を無くしては、
干からびてしまうしかないのです。
また、濁った水(心)のままでは、途中で腐ってしまいます。
美しい花を咲かせるために、
できれば栄養たっぷりの清らかな水で満たしておきたいですね。
それが真理(神理)という水なのです。
*以下、ひふみ神示より*
自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。
無我でないぞ。判りたか。
幽界と霊線つなぐと自己愛となり、
天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ。
(秋の巻 第五帖より)
三千の世界の中の一つがそなた達の世界であるぞ。
この世も亦三千に分れ、更に五千に分れてゐるぞ。
今の人民の知り得る世界はその中の八つであるぞ。
人民のタネによっては七つしか分らんのであるぞ。
八つの世界とは、八は固、七は液、六は気、五はキ、
四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、
と考へてよいのぢゃ。キとは気の気であるぞ。
(白銀の巻 第一帖より)
怒ってはならん。急いではならん。
怒ると怒りの霊界との霊線がつながり、
思わぬ怒りが湧いてものをこわして了ふぞ。
太神のしぐみに狂ひはないぞ。皆々安心してついて御座れよ。
(月光の巻 第二十四帖より)
心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。
そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、
我のむしが生れてくるぞ。我の病になって来るぞ。
病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならんぞ。
病を浄化しなければならん。悪を殺すと云う教や、
やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ。
(月光の巻 第三十帖より)
ざんげせよと申しても、人の前にざんげしてはならんぞ。
人の前で出来るざんげは割引したざんげ。
割引したざんげは神をだまし、己をだますこととなるぞ。
悔ひ改めて下され。深く省みて下され。深く恥ぢおそれよ。
心して慎しんで下されよ。直ちによき神界との霊線がつながるぞ。
霊線つながれば、その日その時からよくなってくるぞ。
気持が曲ったら霊線が切り替えられる。
(月光の巻 第五十五帖より)
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