以前からこのテーマについて、
一度は説明しておいたほうがいいな、と思っていました。
この記事は、旧ブログの頃に公開しようと予定していたものの、
旧ブログを終了することになったので、
そのままお蔵入りになっていたものです(^^;ゞ
そのメッセージの相手は、
アヤシイ霊なのではないか、
操られているのではないのか、
大丈夫なのかと、いろんな方から
ご心配をいただくことがよくございます。
これはこのようなジャンルだと、
どうしても出てきますね(^_^;
邪霊、低級霊の類と、
高次の神霊ではどう違うのか、
どう判断したらいいのか。
それには、決定的に違う、という、
確実なポイントがあります。
この判断を、審神(サニワ)と呼ぶこともあります。
基本的なことを知っていれば、
瞬時に判断することも可能になり、
もう惑わされることはなくなります。
このことを、心の片隅に置いていただき、
判断するときのヒントにでもなれば幸いです。
それは、正統な神様や天使の声は、
「耳に聞こえるものではない」ということです。
“正統な神霊”は、「正統なルート」を使って伝えてきます。
それは霊能力のあるなしには関係しません。
心と魂を澄まし、霊性を向上できていれば、
誰にでも、受け取ることができるはずなのです。
そして、この「内の声」に、ウソはありません。
対して、霊能力を与えられていないと、
わからないものがあります。
それが、霊の声が聴こえたり、姿が視えたり、
この世のものでない世界のことを感知する能力です。
邪霊、低級霊の声は耳元や頭の中で聞こえます。
時としてそれは、
「幻聴」「幻覚」という表現でかたづけられることもあります。
また、邪霊低級霊の声が聴こえるということは、
けっして霊能力のせいばかりでなく、
自分の次元周波数が、そのレベルのチャンネルに合っている、
つまり「同調」しているだけという可能性もあります。
自分の次元が、
低波長と“チャンネル”の合わない周波数帯であったら、
受信できるはずもないからです。
そのチャンネルを自在にコントロールし、
アクセスできるのが、霊能力というものです。
自分が同調し引き寄せているものなのか、
自分でコントロールできる能力によるものなのか、
しっかりと自己を見つめ、見抜いてください。
これも「審神」です。
耳元で聴こえたり、頭の中で声がしたり、
リアルで誰かがかけてきた声かどうか、
一瞬迷うようなものは、
神様ではありえませんし、
守護霊、指導霊とは限りません。
正統な神霊はそのようなルートを使いません。
私はよく「声が聞こえる」
という表現を使っておりますが、
ほんとうは、耳に聞こえているわけではありません。
高次の神霊の言葉は、
「意識」で伝わってくるものです。
皆さんが普段、心の中で、思考するのと似た感覚で、
自分の意識に意識が伝わってくるのです。
はっきりと言葉で受け取る時もあれば、
言葉にならない想いのようなときもあり、
イメージと同時に受け取ることもあります。
自分の中で、自分とは違う存在が、
まるで自分が思っているが如くに
その意識が降りてくるのです。
それは、時に、自分の思考なのかどうか、
わかりにくいと感じることもあります。
ですから、「雑念」は邪魔になるのです。
邪霊の類は、意識にまでもぐりこめません。
どんなに力を持っている魔物であっても、です。
魂の中は、天の領域です。
神の子としての、本質のあなたが坐すところです。
あなたが魔物にとりこまれ、操られることはあっても、
魔物があなたの魂の中にまで入ってくることはありません。
あなたの魂の表面にまとわりつくことしかできません。
だから、てっとり早く、一番近寄りやすく伝えやすい、
耳元などの頭周辺でささやくのです。
邪霊を区別するもうひとつのポイントは、
肩や手足がずっしりと重かったり、重苦しい痛みがあったり、
ゾクゾクするような悪寒を感じたかどうか、
怖い、気持ち悪い、嫌な感覚がしたかどうかです。
高次の神霊のエネルギーは、
軽くて、あたたかです。むしろ暑いくらいです。
寒気がしたり重かったりしないのです。
そのエネルギーは、自然と笑みがこぼれてくるような、
「喜び」そして、「愛」を感じるものです。
私が信じられるのは、内の声だけです。
それに、耳元や頭の中から声が聴こえることはありません。
意識から伝わってくる、
「内側」からのメッセージを受け取れるようになるには、
マイナス思考や悪想念を取り払い、
心と魂を、ピカピカに磨いておくことです。
内側といっても、頭の中からではありませんよ。
「心の中」ですからね。
「自分の真中」を信じていれば、
耳元でささやく怪しい声に、もう騙されることはなくなります。
「外側」からの声に揺さぶられ、ブレることはなくなります。
「真中」は天とつながる大事なところです。
何日も洗わない服、特に下着類は、
汚くって気持ち悪くって、ありえないですよね。
コーヒーをぶちまけて、お気に入りの服にかかったら、
そのまま放っておきますか?クリーニングしますよね。
染みついた汚れがとれないと、気持ちも晴れません。
それと同じように、心に汚れをためこんでいては、
心も病むというものです。
毎日お風呂に入って、衣類の洗濯、部屋の掃除をするように、
「心と魂の掃除洗濯」、いたしましょうね。
曇ったガラス窓からは、なにも見通せません。
今日、誰かについ、心ないことを言ってしまいましたか。
頑固になって、意地を張ってしまいましたか。
欲にかられ、自分に負けて、流されてしまいましたか。
そんな自分に気がつくことができたのなら、
心の中で、「ごめんなさい」と真剣に反省することです。
神の子たる尊い自分を低めるような、
行い、想念であったことを、人にではなく、
心から神に、そして、自分自身にもわびてください。
自分の魂を誇りに思い、尊ぶことができていれば、
外側から聞こえる怪しい声になど、惑わされはしません。
常に上から目線で見ろということではありませんので、
けっして頑固や高慢と混同しないでください。
高次とつながるにはまず、
基本的なことが出来るようになって、それからの話です。
今日付いた汚れは、今日のうちに。
いつまでもネチネチ考えこんでいては、だめということですね。
セルフクリーニングが、毎日の習慣になるように。
悪想念やマイナス思考は、抑え込まない。
その場でリセット&クリアすること、できることです。
(ひふみ神示/春の巻・第二帖より)
悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワせよ。
外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。
- 関連記事
-
テーマ : 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル : 心と身体