fc2ブログ

プロフィール

愛豊玉

Author:愛豊玉
ようこそ
当ブログへお越しいただき
ありがとうございます

当ブログの記事をご覧になる時は
固定観念をはずし
真っさらな気持ちでお読みください

あなた自身に疑心があり
聞く耳を持っていなかったら
どんな光の言霊も心に響きません
言霊は あなたが受け留めてこそ
効力を発揮します

あなたがここで読んだ言の葉は
きっと あなたに必要なメッセージです

どうか 気づき そして
道しるべとなりますように…

神から人へ
流れ来る 浄らかな水
神から流れ来る
理(ミチ)という水
継がれた水を いただく人
継ぐ言の波

水継ぎ(ミツギ)の言

カテゴリ

言伝え

※閲覧・フォローの際のご注意※ 一身上の都合により、9月以降はツイッターの更新が途絶えることとなります。無期限休止といたします。フォロー返しなどもできなくなりますが、そのままにしておくことにいたします。時々チェックはしていますからね。それでもよろしければ、どうぞご自由にフォロー、閲覧されてください。

最新記事

月別アーカイブ

検索フォーム

アクセスカウンター

リンク

QRコード

QR

RSSリンクの表示

すべての基本のキ―霊主心属体従の理解

例えば、高次の御魂をもって降りている、
ある立派な方がおられるとします。
その方は、神どころか天使やアセンテッドマスター、仏など、
6次元以上の存在と交信することができません。
霊存在や宇宙人、4~5次元の神霊と対話するのが関の山です。
しかし、普通の人間でも、
5~6次元の天使と交信できる人たちがいることを、
私はよく知っています。
そういう人たちが、私は大好きです。
本人たちは気づいていないでしょうけれども、
そういった人たちは、神々に愛でられているのです。
対して、立派な御魂をもっているにもかかわらず、
自らの力を生かせていない人には、
神は、それはそれは大変厳しい目で見ておられます。

普通の人間より立派な御魂を持ちながら、
6次元以上の存在と交信できない人と、
普通の人間なのに天使と交信できる人たちと、
その差はいったいなんなのだろう。と疑問がわきました。
天使と話せる人とそうでない人の違いはなんだろう。
その疑問を、ウリエルに聞いてみました。すると、
「基本が解っていないからだ。」との応えだったのです。
それは天使と話せる普通の人や私でも当たり前にわかっていて、
高次と話せない人にはわかっていないことだというのです。
私にしてみれば、今さら?それわかってないの?と、
驚くようなことなのだそうなのです。

「基本」とは…?
霊的基本とは、なんだろう。
私もほかの普通の人も当然のようにわかりきっていて、
わかっているだけでなくできていて、
立派な御魂の人でもできているとは限らない、
基本中の基本とは…?

しばらく考えて、事代主の尊様に、
思いついたことを問うてみました。
すると一二三のことでも陰陽のことでもありませんでした。
再び考え、フッとひらめいたのが、
「霊主体従」「霊主心属体従」でした。
そしてこれが、正解だったのです。
これはウリエルもサンダルフォンも、同じ応えでした。
正統な神霊は何もかも親切に答えを教えてくれません。
答えを導き出すのは自分自身です。
私がこれと気づいたら答え合わせしてもらうだけなのです。
自分で気づき得なければ意味がないからです。
こうしてここで綴っていることも、
神霊から云われたままではなく、
自分で導きだしたからこそ語れることなのです。

しかし、高次元から降りているような立派な方だと、
それなりの霊性をもっているから高次なわけで、
今さら霊主体従をわかっていないなんてことが、あるだろうか。
とすぐに別の疑問がわきました。
実は、意識ではちゃんとわかっているけれども、
「人」としてこの現実界に在る状態で、伴っておらず、
“心主霊属体従”になってしまっているのです。
つまり、自分の中のどこかではわかっており、
知識としてはすでに得ていて、
人にもそれを説いているにもかかわらず、
自分は生かせていないということです。

過去、神示を降ろした方々に自動書記が多いのは、
いくら霊格が高くても、基本がなっておらず、
高次の神霊の言葉を受け取ることができない、あるいは
そのような器があっても神の意図で封じられているため、
そうするよりほかに方法がなかったからです。

これは一般の「体主霊従」になっている人にも言えることです。
“高次とつながるにはどうしたらいいか”
といったことをよく聞かれますが、
この「基本」を人生の中で実行できているかどうかです。

本当は意識ではわかっていて、知識として心得ているのに、
実際には基本のやり方を、
少し間違えてしまっているだけなのです。

心が主になるということは、自分の真意(神意)より先に、
心のはたらきの、想念、思考、感情、理性、知性を
優先させている状態にあるということなのです。
それは、自分の間違いに気づかず、
思いこみと決めつけにつながりかねないのです。

体 視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚
心 想念・理性・思考・感情・知性
霊 意識・勇・親・愛・智

世間一般には第六感のことを、
虫の知らせのような直感や霊感のように
捉えられているようですが、
ここでは少し違って参ります。

第六感とは、「心」の働きに連動するもので、
よくいう「引き寄せの法則」などもこれを活用します。
「直感」とは、第七感のことなのです。
直感は霊魂よりの自分の真の意識から湧き出るものであり、
それを真直ぐダウンロードしている状態とお考えください。

霊主心属体従の“霊”は心のさらに奥にある、
自分の魂意識のことです。
魂と心は別のもので同じ働きではありません。

勇とは、
勇気、克己心、向上心、実行力、忍耐力、外向性、勇猛果敢、
どんなに苦しくとも勇みゆく力、我利我欲に打ち勝つ力。

親とは、
親和、親愛、和合、親しむ、敬愛、友愛、親子愛、兄弟愛、
思いやり、慈しみ、人の心を慮る。

愛とは、
愛心、感謝、生成化育、万物を広く愛する心、円満具足、
作り生み育てる喜び、いかなるものにも幸せや喜びを感じる。

智とは、
智慧、知恵、気づき、悟り、直観力、観察力、理解力、
一を聞いて十を知る、創意工夫する力、アイデアやひらめき。

これらの魂の働きを、「心」の働きでどう結び解くか、です。
あなたの理性がうまく働いていなければ、
勇気が活かせず攻撃的になるのです。
思考が歪んでいれば家族や友人との関係はうまくいきません。
感情を失えば幸せや喜びを感じることができません。
知性の働きがなくば、気づきや理解力はともないません。

「霊主体従」はよく聞く言葉だと思いますが、
これを、人は霊存在の命令や指示に従うことである、と、
勘違いしてとらえている人が少なくありません。

ここで云う“霊”とは自己の魂、意識体のことです。
「霊主心属体従」とは、
わいて出る雑念をもろともせず、すぐに“掃除”でき、
魂からの真の自分の意識、“神性”の自分の意識を
曲げることなく真直ぐに表現、行いができることです。
「心」は「霊」に属するもの、体はそれに従っている、
この状態が“基本”の「霊主心属体従」です。
いわば「心」は「霊」の“通訳”なのです。

“通訳”がへっぽこだと、間違った解釈となり、
当然ながら相手に違う意味で伝わってしまいますね。
それと同様に、心(想念)が曇り歪んでいると、
霊からの意識を正しく真直ぐに現せず、
間違ったことを信じている状態となるのです。
人は「霊」の言の波を「心」が通訳し「体」で表現しています。
あくまでも“スター”は「霊」で「心」は橋渡しの役です。
心をデキる“通訳”にしたければ、自分の雑念を混ぜ込み、
“前に出たがり”の通訳でいてはかなわず、
元の真意を変えずにそのまま伝えることができません。
我を出していては通訳として失格なのです。
“我欲”を出さない、とはこういうことです。

我を出しすぎると、真は伝わりません。
我欲に流されていれば、神(真)意を受け取ることができません。
これまでくどいほどお伝えしてきたことの原因を探ると、
霊主心属体従の順を間違えているということに、辿りつくのです。

「霊主心属体従」が「基本」です。
すでに天使と交信できている人にとっては、
今さらなことかもしれませんが、
できていない人にとっては難しいことかもしれません。
理屈の上ではおわかりになっていただけたでしょうか。
頭で理解するのではなく、心で理解できねば無意味です。
よく、自分の中で噛み砕き、心と魂の栄養にしてください。

心で素直に読みとれる人は、難しい理屈がわからずとも、
誰かにうさんくさい話を教わらずとも、
自然と霊主心属体従を実行できているものです。
自分に素直になれること、自分を信じられること、
大事なことができる人は、霊主心属体従であるからです。

スポンサーサイト



関連記事

テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

ウシトラ金神のルーツ

世間一般では、「艮(ウシトラ)金神」で通っておりますが、
これは俗称に過ぎません。
真の御神名は、「艮大神様」と申されます。

【艮大神】(ウシトラオホカミ)

国常立大神様の荒魂と和魂、
高皇産霊大神様の荒魂と和魂、
神皇産霊大神様の和魂と奇魂、
元無極躰主王大神様の和魂と幸魂、
月夜見大神様の奇魂と幸魂、
天照皇大神様の荒魂と幸魂、
素盞鳴大神様の荒魂と奇魂、

以上、7柱の大神様の分け御魂の合体意識エネルギーに、
国常立大神様自らが、豊雲野大神様とともに、
息を吹き込まれ、御生まれになりました。

12次元の神様です。

お二人の神様が命を吹き込まれるというケースは大変珍しく、
ほかの神々様の場合ではみられません。
また、御魂を分けた親神と命を入れた親神が同じ神というのも、
ほかにはみられません。
つまり、艮大神様の前身は、国常立大神様ということです。
ほかの神々様の分け御魂も持たれていますが、
艮大神様は、国常立大神様の次元を降ろした御姿です。

これまでの御神霊の御魂のルーツをご覧いただいていれば
お分かりになる通り、神々や神霊は、
お一人からの分け御魂の神だけでなく、
複数の神からの分け御魂の神も珍しくはありません。

7柱の神意識の合体エネルギーと、
息を吹き込んだ神、あわせて
8色以上の光をもつということでもあります。
そして、その光が集まり、黄金色に輝くのです。

艮大神様は、「厳(イヅ)」のイメージがありました。
しかし実は、厳と瑞、どちらの働きも合わせ持つ、
「厳開(イサナ)」の御霊統、御働きであられます。

厳は火、瑞は水、厳開はそのどちらも結び解く土の構えです。

「天」の先祖は天之御中主大神様、
「地」(地球)の先祖は国常立大神様、
地の「土」(大地)の先祖は素盞鳴大神様、
そして、この神の国日本、「国」の先祖は、艮大神様です。

「国祖」とは、艮大神様のことなのです。
この日本の持つ言霊は「ア」で、
そのエネルギーは厳開(イサナ)のはたらきであり、
国祖・艮大神様の厳開のエネルギーを
“型”としてあらわしたものが、日本のアの言霊です。

ちなみに、この地上現実界全体の言霊も「ア」で、
同じアでもそのエネルギーは「瑞」です。

日本列島の形は、艮大神様の龍体の時の御姿です。
そして、世界の大陸の形は国常立大神様を現しています。
北米大陸は北海道、オーストラリアは四国、アフリカは九州
といったように、形が似ているのは偶然ではなく、
艮大神様が国常立大神様から生まれた子であり分霊であって
日本列島はその龍体であるなら、
すべての地上の形もまた、
その親である国常立大神様の龍体の御姿なのです。

日本以外の世界大陸の言霊は「ワ」で、
そのエネルギーは「厳」です。
世界の「ワ」は国常立大神様の厳のエネルギーの“型”です。

どのような人間も皆もれなく、神の中で育まれているのです。
関連記事

テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

榛名・甲斐の仕組

2013年5月19日、国常立大神様が御立ち上がりになりました。
2012年12月23日より始動した江戸の仕組は終わり、
これにて「榛名・甲斐の仕組」が開かれました。

榛名(ハルナ)・甲斐(カイ)の仕組とは、
「建て壊し」の仕組みです。
主に素盞鳴大神様が動かれます。
晴鳴・改(解)とも表すことができ、
素盞鳴大神様が晴れて鳴り成り、
世の建て壊し(解・改)を遂行されるという意味です。

人間各々も、ハルナとカイの御用を実行する時です。
まずは、「食」から改め、とことん心身の浄化をすることです。
心と魂がが澄みきり晴れてこそ、
その光り輝く真(マコト)の自分が鳴り響き、
改心が開神となるのです。

自己の“岩戸開き”にフンドシはいりません。
神社にもしめ縄はいらないように、
それぞれが、自己の結界を解き放ち、
自らの神性を開く時です。
神の子としての自分を開きっぱなしにしてください。
そして、“光の住人”として、
光のネットワークにつながっていてください。

五六七(ミロク)の仕組というのは、
ひとつの大きな枠組みであって、その中に、
「江戸の仕組」「榛名・甲斐の仕組」「富士・鳴門の仕組」
「諏訪・印旛(真ア型)の仕組」「美濃・尾張の仕組」と、
五つの仕組があり、この順で遂行されてゆきます。

関連記事

テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

これから地球上で起こること

皆さんの多くが心配していること、
それは、テレビなどでも頻繁にとり上げられている、
富士山の噴火や東海・東南海・南海連動大地震でしょう。

これらがどう起こってくるか、
“今の時点”でのだいたいの予定を、
お伝えさせていただきます。
ただし、“いつ頃”かは申せませんのであしからず。

これから申し上げることは、
神の方を向き、真が通っているならば、
目に見えない世界を信じ、
自己を高めるべく、真剣に向き合い、
生きぬいてきたならば、
なにも怖れる必要はありません。
今からお伝えさせていただくことを、
一通りご覧になっても心が揺らがぬよう、
自分が信じる道を信じきり、自分も信じ、
芯を1本通して、腹を括りご覧ください。
そして心安らいでいてください。
あなたは、大丈夫です。

まず起こるのは、富士山の噴火です。
富士山噴火がのろしとなります。

そう日が経たないうちに、
東海・東南海・南海地震が起こります。

浄化済みの皆さんが、
テラノバあるいはアガルタに移動するのは、
大地震の直前です。
救われる人はいつどこでどんな状態であろうとも、
必ず救われるのです。
半霊半物質の体へと変化し、生きたまま行きます。
これによって地球上の約60%の人々が、
“行方不明”となります。

テラノバはプレアデスに、
アガルタはシリウスにございますので、
皆さんはしばらくのあいだ地球外宇宙に滞在し、
新しい地で再び霊性向上に勇んでいただきます。

日本で大地震が起こった後、
海外でも次々に地震などの大型災害が起こって参ります。

それから数ヶ月後に地軸の変動があります。

富士山噴火、大地震、地軸変動まで、
大きく3つの大災害が起こってくる期間は、
年単位ではなく、数ヶ月の間です。

これらによって地上は、「更地」に戻されます。

残された人々は、
日に10万人単位で亡くなっていきます。

国々は無政府状態になり、警察はもちろん機能しません。
略奪、暴力、殺人は当たり前で野放しの無法地帯と化します。
お金は価値がなくなりただの紙切れ、金属です。

大気が変わり、動植物は育たなくなり、
食物は食べた分だけなくなっていきます。

浄化済みの人はすでに安全なところに移動した後です。
そうとは想像もついてない神無し思想の者たちは、
よかった!生き残った!と勝ち組気分もつかの間、
地上に残されるということは、生き地獄ということです。

ゴルフ場なんか潰して、
今の内に芋畑か大豆畑にでもしておいたほうが、
いいのではないでしょうか。
無神論者、我利我欲に支配されしあわれな人達へ、
私たちが残せる最後の愛かもしれません。

しかしながら、これも因果応報、
その信じがたい地上の惨状は、
自分たちの生きざまを映した鏡です。
神に背を向け、我が物顔で環境を破壊し
人間が生活ができるのは、
自分たち人間がつくってきた社会文化のみによってであると、
見えない世界を幻想、妄想と否定し、
政治、経済に依存して生きてきた人々は、
神がかまわなくなったら、この地上がどんなことになるか、
まともに息すらできなくなってやっと、
思い知ることとなるのです。

最終的には、この地上から、人間は一人残らずいなくなります。
地球上はすっかり更地に戻り、一時的にからっぽになります。
それから数ヶ月~1年ほどで、
アガルタに移住していた人たちが、地球に戻り、
宇宙存在のサポートを受けながら、
新たなる世界を創っていきます。
テラノバに移住した人は今のところ、
地球に戻る予定は決まっていません。
関連記事

テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

怒りと悲しみの本質は悪ではない

誰しも、
とても傷つくこと、悲しいこと、
気持ちが落ち込むこと、
憤りを覚えること、怒れること、
不安になってしまうこと、
ありますよね。
このような心の状態を、
知らない、わからない、という人は、
おそらくいないでしょう。
いたとしたら、人としての心を失った獣同然です。

皆さん、よく、考えてみてください。
怒りや悲しみは、完全な悪でしょうか。
ならば大切な人を亡くして悲しむのは悪でしょうか。
怒りや悲しみが起こったら、
それは即、闇側につながるのでしょうか。

またそのような心の状態になった自分を、
責め、卑下してはいないでしょうか。

皆さん、安心してください。
神だって、怒るし、悲しむのですから。
愛あればこその、怒り悲しみがあるのです。

その思いが、どのような響きであるか、
それによって、光側か、闇側か、
感応する先が分かれるのです。

あなたが、ある出来事にとても怒りを覚えたとします。
たとえばそれは、その思いは何による怒りですか。
自分の思い通りに進まないがゆえの、
不平不満、我利我欲からですか。
それとも、困っている誰かのため、自然万物のため、
利他のためを想う怒りですか。

不平不満とは、
大抵は他人に対して生まれるケースが多いでしょう。
困っている誰かのための怒りとは、まったく非なるものです。

困っている人、傷ついている人とは、
他人のことだけでなないですよね。
自分が傷ついた時が、一番助けてほしいと思いますよね。
「なぜそんなひどいことを言うのだろう。」
と、とても悲しい思いになりますよね。
それは、必ずしも悪いことではないのです。

自分の思っていることを理解してもらえず、
悲しい想いになるまではいいのです。
それで怒りがわき、他人を陰で誹謗するとなると、
我儘です。「我」でしかありません。
「苦言」という前置きで誹謗中傷になっている人が実に多いです。
自分が悲しかったり、傷ついたりしたら、
相手にもそうなることを望むのですか。
それこそ、闇側につながる響きです。
相手の改心、幸せ、笑顔を想うならともかく、
まるで呪い返しのようではありませんか。
独りよがりな心では、光側の響きは呼応しません。

あなたが抱いている、怒り、悲しみは、
どこから来ましたか。
外から勝手にやってきましたか。
違うでしょう。
それは誰かのせいではなく、
間違いなくあなたの心から生み出されたものです。

だから、怒ったり悲しんだりするのは、
自然なことなのです。
また、そのような感情になるような出来事があったとして、
何とも思わないでいられるか、怒り悲しむか、
怒り悲しんだとして、どのような行いと出るか、
結局はあなたの自己のコントロール次第なのです。

自分の中の、真中が主人、そして側に飼い犬がいるとします。
自分の中の獣が、誰かに対して吠え噛みつかないよう、
あなたの真中は主人として、“しつけ”できていますか。
犬にひっぱられぱなしで、
犬の行きたい方しか歩けないような状態では、
己の中の「獣」「我欲」をコントロールできていないですよね。
霊主体従とは、そういうことでもあるのです。
そしてそれが己の悪を浄化することへとつながるのです。

善なる怒り悲しみであって、
あなたに非がないとするのであれば、
その状態は長くは続かないでしょう。
なぜならば、元のあなたの心と魂が清々しいのであれば、
ねちねちと引きずらないからです。

それよりも、怒りや悲しみが出た自分を、
責めたり卑下したりして、それを引きずってはいませんか。
怒り悲しむこと自体は必ず悪ではなく、
自然なことなのですから、気に病むことはないのです。
あなたが光側の住人なのであれば、
あなたは悪ではないのですから、
もっと開き直って、自信をもっていてください。
どっしりと構えていれば良いのです。
真に裏打ちされた、善なる怒りであるならば、
腹の底から怒っても良いのです。

もしも、だれかを責め非難するような行いを
してしまったとしても、
それは本当のあなたの姿ではありません。
悪のやり方に流されている自分は、
真のあなたではありません。
それはいつでも、あなたの心がけ次第で
改心することができるのです。

あなたは悪ではありません。
あなたの本質は、「光」です。
光としての自分を覚り、信じていてください。
関連記事

テーマ : 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル : 心と身体

厩戸皇子(聖徳太子)のルーツ

厩戸皇子(聖徳太子)については、
実にさまざまな説があり、
私が一番印象に残っているのは、
「厩」つながりで、
イエス・キリストと結びつけている説でしょうか。
でも残念ながら、聖徳太子とキリストは、別存在です。

ちなみにイエス・キリストこと道別(ミチワケ)命は、
素盞鳴大神様の幸魂の分け御魂で、
菊理姫大神様より生まれました。
6次元の方です。

聖徳太子は紙幣の肖像にもなったほどですが、
「いなかった」という説まで飛び出すほど、
それだけ謎の部分が多い人物ということですね。

【厩戸神】(ウマヤトのカミ)

聖徳太子あるいは厩戸皇子と呼ばれる方の、
真の御神名は、「厩戸神」と申されます。
ウマヤドではなくウマヤ“ト”です。
清音のみで発音されます。

艮大神様の和魂と奇魂、素盞鳴大神様の幸魂と奇魂、
豊玉姫神様の幸魂、玉依姫神様の和魂と奇魂からの
分け御魂の合体エネルギーに、
木花開耶姫神様より息を吹き込まれお生まれになりました。

7次元の神様で、
プレアデスの神界・天の龍宮におられる「龍神」です。

龍宮の音姫ならぬ、龍宮の音彦、といったかんじですね。

日本で最初の憲法、十七条憲法を定めたとして有名です。
現代の日本で使われている「憲法」という言葉は、
この十七条憲法からそのままとって使われているものです。
しかしながら、その内容はまったくの別もので、
心の在りかた、それに伴うふるまいかたを説くものす。
現代の憲法、現代の人間が無くしてしまったものが、
息づいているように思われます。
今のエライセンセイ方につきつけたいくらいですね。
もっとも、“馬の耳に念仏”でしょうけど。

「十七条憲法」(略)

一、和を以(も)って貴しとなし、
忤(さから)うこと無きを宗とせよ。

二、篤く三宝を敬え。
三宝とは仏と法と僧となり、則ち四生の終帰、万国の極宗なり。

三、詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹め。
君をば則(すなわ)ち天とし、臣をば則ち地とす。
天覆い地載せて四時順行し、万気通うことを得。

四、群卿百寮、礼をもって本(もと)とせよ。
それ民を治むるの本は、かならず礼にあり。

五、餮(あじわいのむさぼり)を絶ち、
欲(たからのほしみ)を棄てて、
明らかに訴訟(うったえ)を弁(わきま)えよ。

六、悪を懲し善を勧むるは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。
ここをもって人の善を匿(かく)すことなく、
悪を見ては必ず匡(ただ)せ。

七、人各(おのおの)任有り。
掌(つかさど)ること宜しく濫(みだ)れざるべし。

八、群卿百寮、早く朝(まい)りて晏(おそ)く退け。

九、信はこれ義の本(もと)なり。事毎(ことごと)に信あれ。
それ善悪成敗はかならず信にあり。

十、忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄て、
人の違(たが)うを怒らざれ。
人みな心あり、心おのおの執(と)るところあり。

十一、功過を明らかに察して、賞罰必ず当てよ。

十二、国司国造、百姓に斂(おさ)めとることなかれ。

十三、もろもろの官に任ずる者同じく職掌を知れ。

十四、群臣百寮、嫉妬あることなかれ。
われすでに人を嫉めば、人またわれを嫉む。
嫉妬の患(わずらい)その極(きわまり)を知らず。

十五、私に背きて公に向うは、これ臣の道なり。
およそ人、私あれば必ず恨(うらみ)あり、
憾(うらみ)あれば必ず同(ととのお)らず。

十六、民を使うに時をもってするは、
古(いにしえ)の良き典(のり)なり。
故に、冬の月には間(いとま)あり、もって民を使うべし。

十七、それ事は独り断(さだ)むべからず。
必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。

以上、それぞれ冒頭部分だけ抜粋させていただきました。
ぜひ全文を読まれることをおすすめします。

第2条は、一見すると仏教に偏っているように感じませんか。
私は2条について、少々疑問に思うところがあり、
厩戸尊様と少しだけお話をさせていただきました。
当時は、人々に仏教が浸透しつつあり、
そのほうがとっつきやすかったからだそうです。
仏・法・僧の「仏」は、本来、神や神霊全体を指し、
「法」とは神理、真の道であり、
「僧」とは、神の意志を受け取りあらわし
伝えられる役目の人のことです。
また、仏・法・僧は「口・心・行」のことでもあるのです。
表現は違えど、行き着く先、辿りつく道はひとつ。
真の道は一本道、なのです。
口心行とは有言実行のことにあらず。
「口」とはあなたの魂の響き。
それを「心」でつなぎ留め、「行」に現る。
穢れた心で継いでは、口も行も曇ってしまうのです。
己を正さんとするならば、
3つの宝(真)のまつりなくしては成らず。
理(ミチ)を説くもの数あれど、
その根本にある真の神の理を、頭でなく心で読みとり、
口・心・行、三つの真を揃え、一つの芯(信)で真直ぐに通し、
あなたの宗(命(ミコト))としてください。

真の道に今も昔もありません。
どのような教え、神示や預言であろうと、
時代背景が違うから今の人間にはあてはまらない、
というのはへりくつに過ぎません。
自己を見つめることから逃げるための口実です。
あなたは、どこまで本質を見透せますか。
「言」を心で読むことができていますか。

関連記事

テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

ノストラダムスのルーツ―預言に隠されし神の意図

【津数別命】(ツスワケのミコト)

ノストラダムスという方は、
霊能力のすぐれた普通の人間ではありません。
その御神名を、津数別命(ツスワケのミコト)といい、
6次元より降ろされた、れっきとした「御神霊」であり、
聖人であり、神人です。

ノストラダムスこと、津数別命は、
艮(ウシトラ)大神様の和魂と幸魂からの分け御魂で、
月読神様より息を吹き込まれ生まれました。

人としての正式名は、「ミシェル・ノートルダム」
「ノストラダムス」とはラテン語風に綴ったもので、
なぜこの読みを好んで使っていたかというと、
この方のお名前をよく見ると、
ノス「トラ」ダムス
「トラ」という言葉が見られますね。
これは日本人にしかわかりませんが、
ノストラダムスは、この「トラ」という言葉の響きに、
直感的に惹かれていたのです。
なぜだか、惹かれてしかたがなかったのです。
彼が自覚していない潜在意識の奥底では、
自らが艮大神様の意識存在であることがわかっていたからです。

ヨーロッパに住む彼が、艮大神(艮金神)という神の名を、
知る由もありませんでしたが、
自分が神からの分霊であり、
普通とは違うことは自覚がありましたし、
名前はわからなくとも、ちゃんと「神」という存在に、
気づいた上で、艮大神様と交信できていたのです。

ノストラダムスの大予言と呼ばれるものは、
ただ単に予見した未来を伝えるためのものではありません。

人々の「気づき」を促すためにあったのです。
霊性向上のためなのです。
これは人間たちへの、神様からの警告なのです。
しかし、この試みは、神が期待するようにはいきませんでした。
神はこれまであらゆる手を使ってきましたが、
ことごとく失敗に終わっています。
それだけ人間が魂を曇らせ、霊性を低めすぎたため、
一筋縄ではいかないということです。

人間は、ノストラダムスの予言が何を予告しているものなのか、
そしてそれは当たっているのか当たってないのか、
ということばかり解明しようと必死です。
大事なのは、そこではないのです。
視点そのものが、見当違いなのです。

予言は、ノストラダムスが自身の霊力で未来を予知したり、
個人的な意図があったりして書きとめたものではありません。
あの4行詩は、彼自身の頭脳で考えた暗号などではないのです。
彼は自分の霊力を予言集の序文の中で、
「神から由来した霊感」「啓示された霊感によって」
と云っています。

ノストラダムスの予言とは、『神示』です。
艮大神様(艮金神)から、
神人・ノストラダムスに降ろされた神示なのです。
ですから予言でなく「預言」とするほうが正しいのです。
だから普通に読んだだけではわかりにくくなっていて、
ひふみ神示(日月神示)のように、何通りにも解釈でき、
真の意味は、わかる者にしかわからないようになっているのです。
読む者の霊性のとおりにしか解釈できないのです。
ひふみ神示と同じく、どんな理屈と知識をもってしても、
心で読むことが出来ねば、真の意味は解らないでしょう。

降ろしたノストラダムス本人にも、
その内容の意味についてわからない部分が多かったようです。

預言が降ろされた時は、
艮大神様との間をつなげる神霊がいました。
それは事代主神様と大天使ザドキエルです。
12次元の神様が3次元に直接干渉するのは難しいので、
艮大神様→事代主神様→ザドキエルと、“通訳”したものを、
ノストラダムスが書きとめたものなのです。

同じように日月神示が降ろされた時も、
天日月大神様→事代主神様→サンダルフォン→岡本天明
このように間に神霊が入っていたのです。
サンダルフォンとは、素盞鳴大神様の奇魂で、
饒速日大神様やサナトクマラさんと同じエネルギー存在です。
ザドキエルは誘名美大神様の分魂です。

このように、神からのお伝えがある場合、
直接ではなく、間をつなげる神霊が必ず存在するのです。
関連記事

テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

大山津見神のルーツ―山幸彦の真実

先月の、4月29日、
山幸彦大神様、豊玉彦大神様が、
揃ってお立ち上がりになられました。
山の大神様と海の大神様がお立ち上がりになったことは、
ただ事ではございません。
いよいよがいよいよという雰囲気がして参りました。

【山幸彦大神】

山幸彦大神様は、国常立大神様の荒魂と幸魂、
木花姫大神様の荒魂と奇魂よりの分け御魂に、
豊雲野大神様が息を吹き込まれお生まれになりました。

11次元の神様です。

大山津見神、大山祇神と呼ばれ御祀りされている神様の、
真の御神名は、「山幸彦(ヤマサチヒコ)大神様」と申されます。
山幸彦大神様とは、大山津見神のことなのです。

また、【豊玉彦大神】様は、大綿津見神のことで、
艮大神様の和魂、豊雲野大神様の幸魂と奇魂、
素盞鳴大神様の荒魂と奇魂、高皇産霊大神様の荒魂の分け御魂に
元無極躰主王大神様より息を吹き込まれお生まれになりました。
11次元の神様です。

はっきりと申しまして、神話に伝えられていることは、
デタラメばかりで、真実はほとんどありません。
特にこのことに関しては、古事記の内容はめちゃくちゃです。

山幸彦大神と火遠理命、彦火火出見神を
同一神とされているようですが、
三人とも次元も異なる全く別々の存在です。

神話での話はあくまでも神々の
“地上”に生まれた“人”としての歴史であって、
この現実界で親子、兄弟として生まれ、
それを神話上で正しく伝えられていたとしても、
魂の上でも同じ関係であることは、ほとんどないのです。
ましてや、別々の魂が同一人物として生まれるわけがありません。
現実に身体の親が、それぞれどなたであったかまでは
あまり意味がないので調べていませんが、
魂のルーツを知れば、明確に真実が見えてきます。
三人の神が別存在であることは、はっきりしています。

【火遠理命】

この方の御魂のルーツを知るのは、
今までになく、大変な作業でした。
とても、疲労感が残りましたよ(笑)
というのも、他には例がないくらいの、
多くの神々の分け御魂の合体意識エネルギーであるからです。

火遠理命(ホオリのミコト)様は、
国常立大神様の荒魂、豊雲野大神様の荒魂、
月夜見大神様の荒魂と和魂、月読神様の荒魂と和魂、
天照皇大神様の和魂と奇魂、素盞鳴大神様の荒魂と幸魂、
誘名基大神様の荒魂と和魂、誘名美大神様の荒魂と幸魂、
菊理姫大神様の荒魂、閻摩羅夜叉大神様の荒魂と和魂、
木花開耶姫神様の荒魂、稚姫岐美神様の和魂と幸魂、
大国主神様の和魂と奇魂、少彦名神様の荒魂、
事代主神様の和魂と奇魂、五六七神様の和魂と奇魂、
弁財天命様の和魂と奇魂、
計17人の神々からの分け御魂の合体エネルギーに、
天之御中主大神様より息を吹き込まれお生まれになりました。

4次元の存在で、原初の火の神です。

“火の神”稚姫岐美神様のお名前も見られますね。
火遠理命様と稚姫岐美神様は親子ということです。
この方には、御魂を分けた親と命を吹き込んだ親と、
合わせて18人もの親神がおられるのです。

月夜見大神様と月読神様が並んでますが、
これは間違いではありません。
月夜見大神様は、11次元の神様で、
月読神様は、月夜見大神様の分魂の方で、7次元の神様です。

閻摩羅夜叉(エマラヤシャ)大神様とは、
閻魔大王のことで、これは通称であり、
「閻摩羅夜叉大神」が正しい御神名です。

【彦火火出見神】

豊玉姫神様の夫神として知られています。

彦火火出見(ヒコホホデミ)神様は、
木花姫大神様の荒魂、艮大神様の和魂と奇魂からの分け御魂に
素盞鳴大神様より息を吹き込まれお生まれになりました。
9次元の神様です。

しいていうならば、
山幸彦大神様と火遠理命様は、ご兄弟になります。
彦火火出見神様と山幸彦大神様もご兄弟といえますが、
火遠理命様と彦火火出見神様は魂上の関係はありません。
人間で例えるなら血縁関係がないということです。
厳密にいえば遠い親戚くらいにはなるのでしょう。
関連記事

テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

豊玉姫と玉依姫のルーツ―赤玉白玉の秘密

【豊玉姫神】

豊玉姫神様は、
国常立大神様の和魂、豊雲野大神様の荒魂
素盞鳴大神様の荒魂と和魂、
誘名美大神様の幸魂からの分け御魂で、
元無極躰主王大神様より息を吹き込まれお生まれになりました。

瑞の御霊統、厳の御働きです。

【玉依姫神】

玉依姫神様は、
豊玉姫神様の和魂と幸魂、
元無極躰主王大神様の和魂と幸魂からの分け御魂で、
誘名美大神様より息を吹き込まれお生まれになりました。

瑞の御霊統、厳開(イサナ)の御働きです。
厳開(イサナ)とは、
厳と瑞、どちらの働きも合わせ持つ「土」の構えのことです。

御神霊はその多くが、厳の御霊統であれば、御働きも厳、
瑞の御霊統であれば、御働きも瑞ですが、
この御二方の場合は少し変わっているようです。
私も当初は、豊玉姫神様が厳、
玉依姫神様が瑞だという先入観があり、
これは思ってもみない真実でした。

豊玉姫神様と玉依姫神様は、
神話上では御姉妹として伝えられています。
「人」として身体を持ちこの地上にお生まれになったときは、
御姉妹としてお生まれになっていました。
これはこれで間違いではありません。
ですが、魂の上では「親子」です。
玉依姫神様は豊玉姫神様の分け御魂をもって生まれたので、
親子であるのです。

(霊界物語より)
「この潮満の珠の又の名を豊玉姫神といひ、
潮干の珠の又の名を玉依姫神といふ。
かくて潮満の珠は紅色を帯び、潮干の珠は純白色である。」

(古事記より・豊玉姫が玉依姫に)
「赤玉は緒さへ光れど白玉の君が装し貴くありけり 」

豊玉姫神様は潮満珠で赤玉、玉依姫神様は潮干珠で白玉、
と伝えられていることは、知る人ぞ知ることと思います。
この赤玉と白玉の真実ですが、
赤玉とは、豊玉姫神様の奇魂の色、
白玉とは、玉依姫神様の奇魂の色なのです。

例えば豊玉姫神様の奇魂の色は赤ですが、幸魂の色は白色です。
玉依姫神様の奇魂は白色ですが、荒魂は蒼色です。
魂は一霊四魂で成り立っています。
一霊の直霊(ナオヒ)と、
四魂の荒魂(アラミタマ)、和魂(ニギミタマ)、
幸魂(サキミタマ)、奇魂(クシミタマ)、
五つの霊魂それぞれがもつ光の「色」があるのです。
それは人間でも同じことです。
この「魂の色」がそのまま「オーラ」の色となるのです。
どんな神霊も人も、最低2色は必ずもっているんですよ。

両神様は、これまで7次元におられましたが、
2012年12月に、9次元へ上がられました。
必要あって今まで7次元に降りておられ、
時が来たので、本来あるべき次元へ戻られた、
というのが正しいでしょう。

それぞれの夫神である、
彦火火出見(ヒコホホデミ)神様と鵜草葺不合(ウガヤフキアエズ)神様も、
8次元から9次元へ、そろって昇格されました。

他にも弥勒如来をはじめ、次元昇格されている御神霊があります。
こうした神々の次元向上も、
来るべき時が近づいて来ていることのサインです。
より人間に近い次元での働きかけが必要なくなり一区切り、
次なる段階へと進める時期であることを、
示しているのではないでしょうか。
神々や神霊はこれまで、もう十分すぎるほどに、
あらゆる手を使い、人を導き働きかけて参りました。
今度は人が自力で、神に向かい、霊性を向上し、
神と人と和し幸う世を目指しゆくのです。
魂の仕分けは完了し、この地上での
ある基準より霊性を落とした者の救済は終了しています。
これからは、“浄化済み”の人のための仕組みが進んでゆきます。
 
関連記事

テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

神や天使はどこにいる?―多次元世界への入口

神界(天界)とは、神霊の住む世界とはどこにあるのか、
どうなっているのか、
だれもが一度は思う謎ですよね。

多くの神々が住む「天の天界」「天の龍宮」と呼ばれる神界は、
ずばり「太陽」の中にあります。
太陽の中にある、というよりも、そこからつながっている
としたほうが正しいかもしれません。

私たちのいる天の川銀河をはじめ、
すべての小宇宙が、
大宇宙に内包されています。
小宇宙ひとつひとつが、世界です。
大宇宙の中に、小宇宙は56億7千万個あります。
全ての小宇宙の集まりが567(ミロク)世界です。
はじめに大宇宙ありき。スの大神様ありき。
まず言を生み給いき。
次に数を生み給いき。
次に567世界を生み給いき。
神々が生まれたのは小宇宙(567世界)ができてからです。

言霊はまずスーからウーアーオーエーイーと生まれました。
ウアオエイが根本五大父音、
カサタナハマヤラワが九大母音です。

数霊はまず〇(ま・まる)に次いで、
一二三四五六七八九十(ひふみよいむななやここと)、
全ての桁数が生まれてゆきました。
一から十までの数が、根本十大父数です。
百千万(ももちよろず)が三大母数です。

〈大宇宙〉16次元 
〈天の天界〉15~7次元 太陽内部世界→ひまわり銀河
〈地の天界〉7~5次元 太陽地表世界→シリウス星団
〈天の龍宮〉15~7次元 太陽地中世界→プレアデス星団
〈地の龍宮〉6~5次元 水星地中世界→プレアデス星団
〈テラノバ〉5~4次元 水星地中世界→プレアデス星団
〈アガルタ〉6~4次元 地球内部世界→シリウス星団

太陽の内部世界には、神界(天の天界)があります。
そこに入れば、それはもう太陽の中ではなく、
ひまわり銀河にある神界の中なのです。
神界の本体はりょうけん座のひまわり銀河にあります。
宇宙は、人知を超越した仕組みになっているのです。

太陽表層部からつながる地の天界は、シリウスにあります。
ここには素盞鳴大神様の分魂の須佐之男命さんがおられます。

太陽の内部と表層の間の、地球に例えると地中にあたるところに、
龍神ばかりが住む神界の龍宮があります。
いえ、つながっています、ですね。
神の住む神界の龍宮を「天の龍宮」、
水星の地中世界につながる龍族の住む龍宮を
「地の龍宮」と申します。
龍宮の本拠はプレアデスに存在します。

天の龍宮は、一応15次元までの余裕がありますが、
男神ばかりの住む龍宮では、
12次元の誘名基大神様が最高次元であられます。
龍宮には饒速日大神様も所属します。
女神ばかりの龍宮には、
木花開耶姫神様、豊玉姫神様、玉依姫神様などがおられ、
こちらでは10次元の瀬織津姫大神様が最高次元の方です。

地球の内部世界にある「アガルタ」は、
実はほんとうに地球の地底にあるのではなく、
シリウスに存在します。
アガルタに入ると、すでに地球内部ではなく、
シリウスに来ているのです。

水星の地中世界「テラノバ」および「地の龍宮」
水星の内部世界にある「天使界」などは、
プレアデス星団にあります。
同じく水星の内部世界にある「如来界」と、
月の内部世界の「天部界」は、かに座のプレセペ星団にあります。
ここに七福神の方々がおられます。
水星内部世界の「明王界」はシリウスに、
月の内部世界の「菩薩界」はオリオン大星雲です。

金星の内部世界には、
サナンダ・クマラさん、サナト・クマラさんなどが住む、
6次元聖人界が存在します。
金星に住む金星人というのは、
本当に金星に住んでいるわけではありません。
金星と火星の内部世界は、
さそり座のトレミー星団につながっています。

火星の内部世界からつながるトレミー星団には、
かつてのアセンション済みの宇宙存在たちがいます。
それはトカゲ類人型生命体で、
一般的にはレプティリアンと呼ばれていますが、
「スクーピュズ」というのが正しいようです。
これはSquama「鱗を持つもの」という意味の
ラテン語からきており、有鱗目(別名トカゲ目)を表す、
Squamataという言葉の由来になっています。

かつての古い時代には冥王星で人類として転生し、
今の地球人類と同じく、霊性進化のため行じておられました。
冥王星の地表を探せば、火星や月などのように、
かつての文明の廃墟が残されているのがみつかるでしょう。
スクーピュズの中には「闇側」についた一派があり、
こちらは火星内部のアセンション済みの方々とは別です。
一部の闇側のスクーピュズの一派は、
冥王星内部世界の底の国(冥界)の中で隔離されたエリアにあり、
近い将来、水星の地上に人類として転生予定です。
根の国(幽界)底の国(冥界)はアンドロメダ銀河にあります。

ほんとうは金星人や火星人はいないのです。
火星、金星や月の地表に人工的な建造物がみつかっていますが、
あれは、かつてのはるか古代に、
火星や金星、月でも人類が住んでいて、文明があったからです。
建造物はそのなごりです。
それは私たち人間が、手にとって触れられる“物質”です。
私たちが宇宙人、○○星人と呼んでいる存在は、
肉体をもちません。アストラル体という半霊半物質の幽体です。
したがって彼らが乗る宇宙船も完全物質体ではありません。
美しい魂をもつ彼らは、不便で重い肉体に入り、
宇宙の辺境で苦しい修行をする必要がないからです。
彼らの中にも、霊性によって、地球人と同じように
人類として身体をもち転生していた時代があったのです。

太陽系というのは、宇宙の辺境にあり、
宇宙全体を一つの国に例えると、ひまわり銀河は首都です。
他の主要銀河や星団は地方都市です。
太陽系ははしっこのど田舎です。
地球をはじめとした太陽系の惑星は、
落ちこぼれや不良、問題を抱える魂の「更正施設」です。
何十万年、何百万年と転生を繰り返してきている魂もあり、
霊的にはいい加減な歳であるのに、未熟なままです。
みなさんはもう、幼い魂などではありません。
まだ新しく若い御魂でも、
立派に神に仕えている神霊もおられます。
幼いから大人になる必要があるのではないのです。
幼子心はけっして未熟なことではありません。
幼い子供のキラキラした笑顔を思い出してみて下さい。
まだ汚れのない、美しい魂ではないですか。
ただ真直ぐに、純粋に、
目に見えぬ世界を信じられるではないですか。
“幼い考え”“子供じみた”などという表現は、
神理から遠ざけるための、悪のばらまいた間違った概念です。
霊性の未熟さと幼子心を結びつけ、
「大人であること」をよしとした教えは、子供心に伴う
無邪気さ、純粋さ、素直さ、好奇心、真直ぐな愛情、
それらの“光”を封じ込め、自分らしさを奪っているのです。

あなたが善、正義と信じている考え方は、
ほんとうにそうだといえますか。
そこに真と真の愛は伴っていますか。
今、個々が、これまで刷り込まれてきた概念、先入観から脱し、
「真」の自分を見つめ直す時が来ています。

みなさんは、少し、問題を抱えてしまっているのです。
だから、更生するための学校に来ているのです。
熟成の遅れた果実のようなものです。
そのために必要な環境が与えられているのです。
収穫するのは神様です。
手塩にかけて育ててきたのに、腐って枝から落ちてしまっては、
それを廃棄するときの気持ちはとても哀しいものです。
ご一緒に、宇宙社会に復帰できるよう頑張って参りましょうね。
神・霊・人ともに和し、幸う世に入ってこそ、
宇宙社会に復帰できたといえるでしょう。

太陽系の惑星内部はすべて、
ポートターミナルのような役割をもち、
異世界のある太陽系外宇宙へのワープゲートになっているのです。
私たちを見守って下さっている神々や神霊をはじめ、
地球に飛来してきている宇宙存在は、
遠くはるかかなたの小宇宙から、
時間をかけてはるばる来ているわけではなく、
ちゃんと近道があるということですね。
金星など各惑星にUFOが出入りしているのが発見され、
話題になることがありますが、なぜなのか、
これで少し謎が解けたと思います。

他の宇宙の遥かに高い叡智を露知らず、
人間は宇宙人を探すのに、
なにやら人間の絵をのせた無人の探査機を飛ばしておりますが…
宇宙存在から見れば、紙工作のおもちゃのようなものでしょう。
彼らがそれに応えてくれないのは、
人間に対し物理的なアクセスを必要としていないからです。
人間の霊性進化を見守っているのです。
望んでいるとすれば霊的交流ができることでしょう。
それは“ここ”と“ここ”のつながりです。
まずは、この地球上の大自然に意識を合わせ、
自然の息吹に、感謝することからはじまります。
関連記事

テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

| ホーム |


 BLOG TOP